震災発生後、重油の備蓄は約40時間分(暖房停止、自家発電のみで賄う場合)と厳しかったのですが、日曜日(13日)からは重油と水と液体酸素が供給され、自家発電を動かし続けることができたので、最低限ではありますが、電気機器を稼働させ、病院機能を維持することができました。本当にありがたいことでした。

 それでもボイラーで暖房するほどの重油はありませんでしたので、数日間は寒さに参りました。水は給水車が病院の貯水槽に毎日少しずつ入れにきてくれるので、トイレでは大便もどんぶり1杯ほどの水で流すなど節水に努め、衛生環境を維持しました。

 初期の重症患者は、水に浸かったための低体温などが多く、震災当夜に担ぎ込まれたうち、2人が死亡しました。周囲の学校などには、数十人から数百人単位の人々が避難しており、今日(20日)現在も電気や水道がない避難所も多くあります。

 当地は海に面した町が多く、聞くところでは、雄勝町などは町民の過半数が死亡(町立病院も医師2人を含め全員死亡)という、信じられないような惨状です。病院の近くの高校にも1000人以上のご遺体が安置されています。私が知っている範囲では、顔見知りの医師6人が死亡しています。私がいる東松島市と、隣接する石巻市を合わせると死者の数は1万人ぐらいになるのではといわれています。

 このような極限状態では逆に、めそめそしたり、ふさぎ込んだりする者はほとんどみられません。睡眠薬を要求する患者もそれほどいません。子供を亡くした職員が翌日から働いています。このような状況でテレビで解説者が「大事なのは心のケア」などと繰り返しているのを見ると、違和感を禁じ得ません。

 病院に限らず、とにかく皆が力を合わせています。このような経験をした人間は、特に若者は、精神的に成長するのではないかと思っています。また、損壊した自分の診療所の始末は後回しにして避難所を巡回する医師も多く、尊敬に値します。(残念ながら、一部に全く社会貢献していない医師もおり、おそらく後日評判を落とすと思われます)。

 固定電話が通じず、市役所にも電気が来ていないため、乏しいガソリンをやりくりしながら災害対策本部に出向き、作戦を考える毎日です。携帯電話は4日目(14日)から少しずつ通じるようになり始めましたが、行政や病院間の連絡がほとんどできません。とにかくできることをしながら、援助を待つという状態です。