塩釜市の西(つまり内陸寄り)20kmあまりの位置にある宮城県立こども病院の泌尿器科部長、坂井清英氏が被災後、友人らに送った一連の状況報告のメールを、坂井氏の了解を得て掲載する。「今はまだ、嵐の前の静けさ」の続報である。

 やや内陸寄りにあることから、全壊や半壊といった大きな被害は免れた宮城県立こども病院だが、被災地に近い診療所、病院が壊滅的な打撃を受け、被災者が集中した最前線の総合病院は医療資源、通信手段、連携先、人手の確保に苦しむ中、急速に疲弊しつつある。

 今回はそうした最前線の医師から坂井氏に寄せられた報告も交えて掲載する。坂井氏自身も、この手記が書かれた17日現在、医師も患者も交通手段を断たれ、食糧の確保にも困る中で診療を続けている。

 掲載に当たり、元の文章の主旨を変えない範囲で編集を加えた。



●3月17日(木)9:39のメールから
 さまざまな方法による情報の伝達は非常に重要です。いまだに全く回復しない固定電話しか無かったら、被災者やその周囲の人々に全体の情報が入らず、どのように行動したらよいかも分かりません。携帯電話や、ネットの威力はすごいものです。しかしそれも、電気がなければ動きません。

 うれしい話題あり。食料が足りないため、宮城の長野県人会で昨年知り合った「伊那食品」仙台支店の支部長に連絡しました。社員の方が、伊那から10数時間かけて食材を運んで来てくれました。入院患児のために、貴重な食料とガソリンを使ってくれたのです。

 被災地に近い、市内の総合病院や大学病院は何とか病院として機能していますが、急速に疲弊しており、このままでは遠からず機能を停止します。以下は市内にある地域の中核病院A病院の医師からの震災翌日からの報告です。本人の許可を得たので送ります。

仙台市内A病院救命救急部医師からの報告

●3月12日(土)
 地震2日目の夜をA病院で迎えました。すでに400人を超える患者を受け入れてきましたが、現在もなお救急車(他県からの緊急消防援助隊を含め)が収容依頼のアポなしで搬入されてきています。仙台市内の死者もおそらく1000人を超え、宮城県内では1万人を優に超すものと思います。

 夕方からは、他県のDMAT(災害派遣医療チーム)2チームが当院に入り、手伝ってもらっています。病院は何とか診療機能を維持し、電気は復旧、水道は給水車による優先給水、医療ガスは備蓄でやっています。市内の他院は、電気が復旧しないため非常発電に依存しており、燃料の供給がいつ再開されるかがカギです。

 共通の問題点は、患者や職員の食料や薬品・診療材料の不足です。食料の備蓄はそれほど多くはなく、コンビニは長蛇の列です。また薬の卸問屋が停電で機能せず、あるいは壊滅状態となったところもあり、供給の見通しが立ちません。当院の建物にも一部被害があり、入室禁止箇所があるため、入院患者数の制限を余儀なくされています。

●3月13日(日)
 地震後3日目の夜となりました。仙台には全国各地から70を超えるDMATが参集し、当院には昨日(12日)夕方から2チーム(神奈川の赤十字病院、置賜総合病院)、本日は交代で4チーム(新庄病院、独協医大病院、深谷赤十字病院、JA中濃厚生病院)が救急診療のサポートに当たってくれています。

 地震直後からの受け入れ患者数は500人を超え(昨日、本日の臨時日中外来を含む)、まだ続々と傷病者が搬入されています。電気が復旧し非常電源頼みの状況から抜け出した病院も少しずつ出始めていますが、依然として医薬品、診療材料、医療ガス、燃料などの供給体制に不安を抱えながら診療に当たっているのが実情です。救急患者の質も少しずつ変化しています。当初から重症外傷患者の搬入が比較的少ないのが今回の災害の特徴のようですが、内因性の疾患が時間とともに増加している印象です。

 県庁に宮城県の災害対策本部が設置され、今回初めて医師が災害医療コーディネーターとして災害対策本部に入り、災害拠点病院、医師会などの無線ネットワーク(電話は全くと言っていいほど機能しません)を駆使して、自衛隊による空路救出や、域外搬送(県外病院)や県内・市内病院への搬送調整、DMATの出動先調整などに当たっています。

 そのため、携帯型無線機を常に手にしながら、絶えまなく余震が続く院内を動いています。通常の救急医療体制に戻るにはまだまだ時間が必要でしょう。一緒に働く病院職員や救急隊員の中には、いまだ家族の安否が不明の人たちも少なからずいます。多方面からの御支援、励ましを糧として今日も院内泊です。

●3月14日(月)
 地震4日目の夜を迎えました。石巻B病院(津波で被害を負った石巻地域の主要病院)が病院機能を維持できなくなり、ほぼすべての入院患者を自衛隊の大型ヘリで霞目駐屯地にいったん搬送し、そこからさらに仙台市内の病院、あるいは県外の病院へ搬送しています。東北厚生年金病院も電気が復旧せず、非常発電用の重油の供給が途絶えるなどしたために患者の他病院への搬出を始めています。仙台市内の病院の受け入れキャパシティもかなり苦しくなっているのが現状です。

 本日も県外DMAT(愛知医療センター、千葉県救急医療センター)の医療支援を受け、心の底から有難く感じています。そして当院の常勤スタッフのみならず、研修医やレジデントの若い力にも感謝しています。当院脳神経外科スタッフではA先生、B先生、C先生、D先生が活躍中です。今日も院内泊となるでしょう。

●3月15日(火)
 地震5日目です。当院屋上の煙突(鉄製の煙突の周囲をコンクリートで固めたもの)に崩落の危険があるとのことで再評価した結果、当病院本館の放射線、検査部門のほぼすべてが立ち入り禁止区域となりました。病棟もナースステーションを含め東西ともに立ち入り禁止となったため、今後入院患者数を制限せざるを得ません。また手術も現在は臨時手術のみで、お産も制限されそうです。

 それでも救急患者の収容要請は途切れることがありません。病院の診療能力の低下はやむを得ないものの、できることをやっていくしかありません。