3月14日(月)16:19のメールから
 遠方よりのDMAT派遣、ありがたいです。当院もプラズマ滅菌のカートリッジは残り21個のみで、補充の見込みはありません。アナログ的な古いやり方と人力で乗り切るしかなさそうです。手持ちの医療資源を使って、可能な限りの診療を行うしかありませんが、一昨日は他の施設で、不十分な環境の中で手術せざるを得なかった解離性大動脈瘤の患者さんが亡くなられました。

 若干の絶望感が漂っていますが、何とか気力を保っていかねばと思っています。ガソリン不足のため、明日から15〜16kmの道のりを自転車通勤しようか、あるいは病院に泊まり込みにしようかと考えています。

 当院の職員は全員無事でした。しかし、海岸近くのイベント会場に出かけていて津波に襲われ、車は置き去りにして命からがら逃げてきた職員もいます。息子の知り合いは、やはりイベント会場からポルシェに乗って逃げ出しましたが、道路が混雑して車では逃げ切れず、乗り捨てて走って逃げ、ポルシェは津波に飲まれたそうです。また、職員の中には、住んでいた地域(気仙沼、南三陸、陸前高田、釜石など)が水没してしまい、御家族の安否がわからないまま確認にも行けずに働いている人も大勢います。

3月14日(月)23:00のメールから
 いろいろと書いていますが、これはあくまで、壊滅的な被害を受けた沿岸の被災地から少し離れた仙台市街地の医療機関における感想です。現在のところ、私の病院を含めた仙台市街地の各病院(東北大学病院を含む)は、嵐の前の静けさのような状態です。

 私のいるこども病院は、仙台市内の主要病院のなかでは、最も内陸の方に位置していること、小児専門病院であることからか、今のところは被災者の受診は少ないのですが、神戸の震災の時も災害発生から1週間ぐらい経ってから、小児医療を含めた周辺の医療機関に患者さんが津波のように押し寄せてきたようです。これから本格的に忙しくなるのが確実かと思われます。

 被災地に近い石巻日赤病院へは既に1000人以上の搬送があるようで、仙台市の南側に位置する救急対応の県南の中核病院にも600人ほどの被災者が訪れているようです。病院内には収容しきれず、院外にテントも設置され、まるで野戦場のようだとの話でした。いずれの病院でも、薬や点滴などの医療資源とエネルギーの不足が深刻で、補給がなければおそらく数日くらいで枯渇し、スタッフも疲弊し破綻しそうな様相です。

 塩釜市の坂総合病院では燃料が残り4日間のみ、仙台日赤病院は燃料残りわずか1日だそうです。拓桃医療教育センター(障害児が多く入院している小児病院)では電力不足で呼吸器をつけた幼児の生命を保持できないため、1名がこども病院へ搬送されてきました。3名は明日、大学病院へ搬送されるそうです。通信手段は固定電話がまるでダメなため、医師同士の携帯電話や、ようやく復旧してきたメールでやり取りしています。携帯はつながったりつながらなかったり不安定です。

 このようなときにも安定して通信できる手段の確保が今後必須です。通信手段が断たれた各病院は連携が十分できず、孤軍奮闘の末に一つひとつ潰れていく、といった状況です。いずれの病院にも泌尿器科医局時代の同僚や、大学の同級生、大学の時所属していたサッカー部(頭よりも体力に自信あり!)の先輩、同級生、後輩たちがおり、各自が、自分が最後の砦と思って頑張っています。