少ししてから、青森県庁から電話が来た。
「DMAT待機要請が出ています。対応できますか」県庁
「はい、すでに待機中です。ただし、車内待機です。正式要請が出るまで、通常走行で南下しています」私
「えっつ」県庁
「正式出動要請が出てから、赤色灯をつけて緊急走行を開始します。」私
「目的地は?」県庁
「とりあえず、南。例えば仙台です。情報を入れながら、参集場所を決めます」私

・・・・

千葉医師は、パソコンの前で、災害、DMAT情報を探す。
仙台で津波甚大被害。
16時4分、参集病院は仙台医療センターに決まった。
DMAT正式要請である。
オオフナドで、津波甚大被害。

17時48分、参集病院に岩手医大が追加された。
ドクターカーは高速道路をゆっくり進んでいた。
千葉医師は、岩手医大から岩手県庁に出向いている統括DMATの秋富医師に連絡を取り合った。
「仙台と盛岡どちらが医療需要が高いか」千葉医師
「盛岡に、向かっているDMATは今はゼロ、是非盛岡にきてほしい」秋富医師
千葉医師は、ドクターカーへ電話を入れた。
「参集病院変更、盛岡です」

・・・・

3月11日18時、盛岡市到着。
そこから八戸DMATは、津波被害の大きい大船戸へ向かう予定だった。
陸路は安全が保てない。しかも、山越え。道路は封鎖。
盛岡から空路にて自衛隊ヘリで向かうはずだった。
その距離直線で70Km。
夜間の飛行は自衛隊ヘリだった。
しかし予定飛行時刻に天候が悪化してきた。
雪と雲。
太平洋では津波被害が甚大。
しかし、盛岡から近づけない。
夜間の自衛隊ヘリ出動に備えることになった。
ヘリポートは岩手県消防学校。
その直近に病院、赤十字病院で待機となった。参集できたDMAT隊は八戸の1隊だけ。

八戸DMATは深夜の出動を待った。
八戸DMATが到着した5時間後、2組目のDMATが盛岡市に到着した。
しかし、まだ、天候は回復しない。
陸路の道路の安全は確保できていない。
日付が変わった後、ヘリコプター出動は朝5時30分の連絡がきた。
それまで、睡眠。

3月13日朝5時30分、八戸DMAT5名は、岩手県消防学校ヘリポートにいた。寒かった。しかし、ヘリコプターは来ない。
7時30分ようやく、自衛隊ヘリが降りてきた。
大船戸では、患者搬出準備が万全だった。
一晩待ったヘリコプターだった。
自衛隊機に、河野、原医師が乗り、まずは1回目のヘリ搬送。
盛岡で患者を下し、ヘリは給油して再び、盛岡に来るはずだった。
しかし、待てどもヘリは来ない。

大船戸では、ヘリ搬送をあきらめた。
まもなく、道路通行可が確認された。
緊急自動車は通れる。
救急車で、搬送することになった。
一時期、DMAT隊員が2つに分断され、もう会えないのかと大げさだが感じられた。
分断された2つのグループに役立ったのは、
大船戸の衛星電話と、八戸DMATの持つ災害時優先携帯電話だ。
この2つの電話で、NTT回線がずたずたでも連絡を取り合えた。

救急車に患者を乗せて、残りの部隊が盛岡に戻ってきた。
それから、患者のヘリ搬送はできなかった。
自衛隊ヘリが来なかった。
おそらく、別の地域に呼ばれたのだろう。

自衛隊機に頼らない医療主体のヘリコプター搬送が必要である。
それが、ドクターヘリの災害活用だ。
ほぼ同じ時刻にドクターヘリが岩手県と福島県、宮城県に集まりだした。
八戸DMATが奮闘しているころ、青森県ドクターヘリは、八戸の災害対応で手いっぱいだった。
ここも被災地。

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