3月11日の東日本巨大地震の発生時、八戸市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。

八戸市民病院救命救急センターのスタッフブログ「青森県ドクターヘリ スタッフブログ」http://doctorheli.blog97.fc2.com/



●【東北関東大震災 その2】緊急DMAT出動 2011年03月13日 23:40

3月11日午後、ERにいた私たちは、大きな建物の揺れを感じた。
震度4くらいは慣れっこだが、大きい、しかも揺れは収まらない。
それどころか、揺れは強くなる。長い。
収まらない。
さらに強くなる。
まだ続く。
ERでは、低酸素症の患者をちょうど見ていた時だった。
気管切開チューブをちょうど入れ終わり、人工呼吸器につけた時。
「人口呼吸器から外して」私は明石医師に叫んだ。

大地震で最初にやることは、自身の安全確保。次に場所の安全を確認、そして、患者の事。
患者に最初に行うことは、人工呼吸器から外す。次に点滴ラインをクランプして、輸液を体の上に置く。
人工呼吸器が、揺れで移動すると、気管チューブは抜けてしまうから。点滴が揺れで抜けると、止血できないから。

揺れは治まらなかった。
ナースは青ざめる。
初めての大地震を経験した若い医師は、ひきつった顔。
冷静な千葉医師が近寄る。
「出動準備しますか」千葉医師
「どこへ」私
「おそらく宮城県」千葉医師
「河野、原医師は宮城県を想定して出動準備して。千葉医師はDMATの情報をもらって、わたしは、院長から出動許可をもらうから」私
宮城かどうか分からないけれど、
まず動く。

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「やはり、宮城県です。津波が来ます、こっちにも」千葉医師
日本最大、マグニチュード8.8。
救急医療と、災害医療はこの災害を予測して備えていた。
日本国内では、これまでも、災害を多数経験し、緊急医療援助チームDMATが現地で活躍してきた。勿論われわれも。
そして、今度は、最大規模。
この規模は1000年前にもあったらしい。
地震発生、それから津波が続く。

・・・・

八戸市内では大きなゆれを感じた。
震度5強。
宮城は震度7とテレビが伝える。

「それじゃ、どちらが甚大か判断しよう」
宮城の医療支援か、八戸か、あるいは岩手県。
三陸沖で3つの県はつながっている。
「移動手段は、ヘリですか、車ですか」河野
「ドクターヘリで災害出動は、このフェーズでは県庁から許可が下りないだろう。下りるとすれば、岩手県からの要請を受けてからだ。おそらく24時間後。まずドクターカー2号で南へ進んで」私
「出動スタッフは」河野
「薬剤師DMATの金沢、看護師は今日のフライトナース加藤、医師は3名河野、光銭、原で」私

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ジュラルミンケース3個、輸液バッグのダンボール箱4個、ACLSウェストポーチ2個、ヘルメット5個を積んだ。ラピッドドクターカー2号、エスクードが発進した。
15時13分DMAT待機要請。
DMAT出動の正式要請はまだ出ていない。

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