●2011年3月14日 13:25
3/11 地震発生。被災地に向けて無人の首都高速を走るドクターカー。随行車から。この時、私は偶然DMATの講習を受けていました。まさにその日にDMATで出動するとはびっくりです。東京は大渋滞で、多数の帰宅困難者が出ていました。通行止めの首都高速を走るのに、微妙な罪悪感が…。

●2011年3月14日 14:54
仙台市若林区の国立病院機構仙台医療センターです。外観上の損傷はなく、周囲の町並みも未曽有の大地震が襲ったとは思えないくらいの平穏さでした。

しかしライフラインは途絶し、自家発電で部分的な電力供給と備蓄の水でかろうじて業務が出来るものの、CTなどの大型画像診断機器は停止し、大手術はできない状態です。院内は節電のため暗く、水道やトイレはほとんど断水です。加えて院内に被災者が避難してきており、病院業務に加えて救護も行わざるを得なくなっていました。

ここが拠点になり、およそ100チーム500名前後のDMATが参集しました。ここと周囲の病院の医療支援、災害医療の現地本部機能、自衛隊基地での搬送業務、被災現場での医療、などに散って行きました。

●2011年3月14日 23:11
仙台市宮城野区の東北厚生年金病院での風景。仙台市の中核病院の一つである。津波の被害をぎりぎり逃れたが、建物が損傷し、屋上の水タンクから水が流れこみ、病棟の一部が閉鎖に追い込まれた。

400名くらいの入院患者を病棟移動させ、4人部屋を8人で使うなどの対応をしたが、そこにさらに1400人の被災者が避難場所を求めて押し寄せた。会議室やリハビリテーション室、廊下、ロビーなど、共用スペースには被災者が溢れかえった。手持ちのリネンと災害備蓄の保存食をすべて放出し、できる限りの対応をしたが、水、電気、ガスのすべてが停止し、自家発電の燃料も枯渇しつつある。余震が来れば崩落の危険がある。トイレの水が流れず、悪臭が立ち込め、衛生環境は悪化しつつある。

すべての病院職員は英雄であった。すべての患者と避難者、5倍近くに膨れ上がった人たちのケアに不眠不休の努力をした。しかし、遂に限界が来た。入院患者の転送と避難者の移動が始まった。 このように仙台の「避難所」は収容能力、衛生面、安全面、食事など、すべての面で危機的な状況にある。写真は病院での炊き出し風景。スチール本棚を倒して竈(かまど)にし、津波で流れてきた木造家屋を薪にして、味噌汁を作っている。職員の表情は明るく、なんともたくましい人たちであった。

【編集部からのお願い 被災地の状況をお知らせください】
 日経メディカル オンライン(NMO)では、東北地方太平洋沖地震の被災地で奮闘している医療従事者の方々からの情報発信、および被災地で役立つ医療・保健情報の収集に努めています。これらを、被災地の医療現場に還元することで、及ばずながらも被災者を支援していきたいと考えています。

 被災地で尽力されている医療関係者で、現地の状況についてお伝えいただける方、また、被災地での医療対応に役立つ情報ソースをご存知の方は、ぜひ下記まで情報をお寄せください。その際には、もし可能であれば、勤務先の医療機関名や専門科目、掲載の可否(内容やご氏名など)についてもご記載いただけますと幸いです。

 大変な時ですので、ご無理のない範囲でご協力ください。どうぞよろしくお願いいたします。

◆情報はこちらにお寄せください(メール)
◇もしくは、こちらからお願いします(お問い合わせフォーム)

◆この記事への応援コメントは、右下の「コメントする」をクリックしてご入力ください