翌15日には、250人ほどいた職員は3分の2が避難。14人いた常勤医も11人に減った。残されたスタッフは、通常の業務外である給食や清掃などの作業を分担しながら診療を続けた。18日には、行政の指示の下、全入院患者を県外に搬送。それ以降は外来のみの診療となり、職員の避難も加速、4月には常勤医は4人まで減少したという。

 市内の病院で異常事態に陥ったのは、同病院だけではない。福島第1原発から20km圏内の市立小高病院(一般病床など99床)と小高赤坂病院(精神病床104床)は、避難指示で早々に休止を余儀なくされた(前ページの図1)。20〜30km圏内にある民間の4病院も、市立総合病院と同様に大量の職員が避難、全入院患者を市外に転院させる必要に迫られた。患者の転院後は職員もほとんどが避難したため、大半の病院が外来も含めて休止に追い込まれた。

医療者と患者不足の二重苦
 震災発生から約8カ月。宮城県や岩手県では被災した病医院の多くが再生へ向けて動き始めている。ところが、南相馬市では復興の方向性すら見えないのが現状だ。その一因が、依然として続く医療従事者の不足である。

 福島県が3月1日と8月1日時点における県内各地区の医師数と看護職員数を調査したところ、震災発生から5カ月弱たっても、相双地区の医療従事者の不足が顕著であることが判明した(表1)。同市医師会長の高橋亨平氏は、「この状況は11月になっても全く改善されていない」と話す。

表1 福島県各地区の震災前後における医師数と看護職員数の比較(福島県調べ)
注)県北は福島市、二本松市、伊達市など。県中は須賀川市、田村市など。県南は白河市、東白川郡、西白河郡など。相双は相馬市、南相馬市、双葉町など。
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 原発事故の発生当初は1時間当たり4〜7マイクロシーベルト(μSv)に達していた放射線量は、4月に入ると1μSv以下に下がり、5月以降は0.5μSv前後で推移。人体に影響を与えるほどではないとされる値に低下している。

 ところが、避難した妊婦や子どもを持つ若い人たちを中心に、放射性物質汚染に不安を感じて南相馬市に戻らないケースが多いという。看護職員などの医療従事者には若い人たちが比較的多い。一方で、新たに就職を希望する人もいない。結果、医療従事者の不足は一向に解消されず、各病院は震災前の病床数の人員基準を満たせないでいるわけだ。

 実際、一般病床230床を運営していた市立総合病院は、5月に5床を再開して以降、病床数を徐々に増やしているが、現在も120床にとどまる。民間病院においては、再開できても病床数は震災前の半分未満の施設がほとんどで、再開すらできていないところもある(前ページの図1)。

「今後も充実した医療を提供していくには、各病院の再編も視野に入れなければならなくなるのではないか」と話す南相馬市立総合病院の金澤幸夫氏。

 これに追い打ちをかけているのが、人口の激減だ。約7万2000人いた市民は3月末ごろに1万人台にまで減り、その後は徐々に増えているが、いまだに4万人台にとどまる。その分、患者数も以前より大幅に減少している。市立総合病院院長の金澤氏は、「入院ニーズは現在の120床で十分カバーできており、さらに増やす必要は現時点ではない」と語る。救急患者や外来患者も以前の半分程度で推移しているという。

 医療従事者や患者の減少の影響は診療所でも見られ、30カ所ほどあった診療所のうち診療を再開しているのは約半分。中でも小児科や産婦人科の診療所は、市医師会長である高橋氏の産婦人科医院を除き、全て休止している状態だ。