福島第1原子力発電所の事故は今も、南相馬市の医療提供体制に暗い影を落とす。多くの医療従事者が同市から去り、人口激減で患者も減少。復興の道のりは遠く、医療機関の再編も必要な状況だ。


福島第1原発から20km地点の道路では、警察官が今も立ち入り規制をしている。

 東日本大震災が起きた3月11日、福島県の南相馬市立総合病院(一般病床230床)は大きな揺れに襲われた。院内の棚の多くが倒れ、電気は止まり自家発電に切り替わった。その後まもなく、津波の被害者や傷病者が数多く来院。同病院は沿岸部から約3kmの場所にあり、相双地区(南相馬市、相馬市、双葉町などの一帯)の中核病院であるため、第一の救急搬送先となったのだ。

 一方で、幸いにも地震や津波による建物の損壊、入院患者や職員の死亡には見舞われることはなく、水道やガス、電気などもすぐに復旧した。震災で非常事態に陥ったものの、診療は通常の体制で継続できるかにみえた。しかし、震災発生翌日の15時半すぎに福島第1原発の1号機で水素爆発が起きたのを機に、同病院の苦闘は始まった。

図1 南相馬市の各病院の所在地と病床再開の状況(11月29日現在)
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診療継続か、職員の安全か
 政府は原発事故の発生直後、福島第1原発から20km圏内の住民に避難指示を出したが、約23km離れた同病院は対象外。不安を抱いた職員たちは慌てふためいた。そこで院長の金澤幸夫氏は、退院可能な入院患者や転院を希望する患者をリストアップして60人以上を市外に退院・転院させると同時に、14日朝には職員の動揺を鎮めるため、全体会議を開いて院内の意思疎通を図った。

 ところがその直後、今度は3号機が水素爆発。職員の間に再び緊張が走った。金澤氏は、診療の継続と職員の安全確保のどちらを優先すべきか思い悩んだ。結局、午後に再び全体会議を開き、避難するかどうかは各職員の判断に任せることにした。