福島県放射線技師会長が急逝
 そのような状況が続く中、技師会に衝撃が走る事件が起こった。日本放射線技師会理事で福島県放射線技師会会長であった鈴木憲二氏が、震災から4カ月後の7月16日に急逝したのだ。「深夜に変調に気づき、救急搬送で病院に到着した時点で心肺停止状態だった」(諸澄氏)。 

 鈴木氏は、事故直後から長期にわたる福島県への放射線サーベイヤーの派遣計画を策定する上で中心的な役割を果たした。その後も、全国から応援に入る技師と現場の仲立ちとなって活動していた。

 「昼夜の区別なく働いていた。全国から集まった技師らが活動しやすいようにといろいろと配慮し、夜は技師らが宿泊するホテルに缶ビールなどの差し入れなども行っていた」(諸澄氏)。激務が直接の死因となったかは明らかではないものの、技師らの間では「戦死」とささやかれている。鈴木氏の死は、被災した住民だけではなく、復興対策に当たるスタッフの心身の管理の重要性を物語る事例といえるだろう。

問題は専門家間のコミュニケーション
 福島第一原発事故では、いくつかの課題が浮き彫りになった。

 大会長の鈴木氏は、とりわけ大きな問題として「OFCが本来の役割を果たせなかった」ことを挙げ、「OFCの現地対策本部で行政や防災関係者、事業者や原子力の専門家が情報を共有し、意志決定し、情報発信するという仕組みが機能しなかったこと」と指摘した。原子力災害対策特別措置法の想定とは異なり、全ての意志決定を政府対策本部が担ったことも、関係者間での情報共有という面では事態を混迷させる一因となった。

 福島県立医大の長谷川氏は、国民・福島県民とのリスクコミュニケーションでは、「原子力や放射線の専門家が発信した情報の中に、相互に矛盾したものがあったことが事態を複雑なものにしてしまったのではないか。このような事態では特にリスクコミュニケーションの重要性が問題にされるが、専門家間の見解の違いが健全なリスクコミュニケーションを実現する上で障害になったのではないか」と問題を提起した。

 鈴木氏は、「被曝医療だけではなく、今回のオペレーションで何ができて、何ができなかったかを今後も検証を続ける必要がある」と総括している。