結果的に、本来対策が不要であった三春町の町民以外は安定ヨウ素剤を服用しなかったということになる。ヨウ素剤を過剰に服用すると甲状腺機能低下症などの副作用を引き起こすことは確かだ。したがって、行政が適応のない安定ヨウ素剤の服用を制限する姿勢を打ち出したのは妥当である。

 しかし、研究会の席上、鈴木氏は「避難した後でも安定ヨウ素剤を服用すべきだった」と指摘した。「避難すれば服用は不要と考えられたが、避難方向によっては避難終了直前まで、プルーム(放射線物質の濃度が高い空気の塊)曝露があったと考えられる。避難所到着時の服用には意味があった」。例え、放射性ヨウ素を吸入した4時間後でも、安定ヨウ素剤の服用は50%の防護効果がある。

 国際原子力機関(IAEA)は、最初の7日間の被曝線量が50mSvを超えると判断した場合には、安定ヨウ素剤の使用を推奨している。当初の予定では、SPEEDIという放射能拡散・被曝線量予測シミュレーションおよび放射線量をモニターして、対応を決定することになっていたが、放出された放射能の情報がないためSPEEDIは線量を計算できず、実際に線量を計測するモニタリング・ポストのほとんどが震災と津波で破壊され、データの収集は不可能だった。線量というリスクを正確に把握し、正しく対応するという行動計画の前提が成立しなくなっていた。「今後は、正確な線量が不明な場合でも状況を考慮して行動を起こすことができる計画を用意しておくべきかもしれない」と鈴木氏は指摘した。

原発事故をテレビで知った福島県立医大
 突然、原発事故の渦中に投げ込まれた福島県立医科大学附属病院からも救命救急センターの医師の長谷川有史氏(助教)からの報告があった。同氏によると、原発に最も近くにある医大であったにもかかわらず、「事故が起こるまで、院内の除染施設の場所も院内緊急被曝医療マニュアルの存在も知らなかった」。「原発事故の発生もテレビで知った。行政サイドからの正式な情報提供というものは何もなかった」。その後刻々と変わる情勢を知る手がかりも、もっぱらテレビやラジオのニュースだったという。

 3月11日の地震や津波被害の発生直後には、低体温や骨盤骨折傷病者などの搬送が相次いだが、14〜15日になって4名の被曝傷病者が搬送されてきた。情報がなく、現場はパニックという状況となったが、15日午後に被曝医療を専門とする長崎大学・広島大学合同REMAT(Radiation Emergency Medical Assistant Team)が来院。ここで初めて、原発事故の現状説明を受けたという。

「1度泣くと人間は強い」
 「スタッフは最初、悲観的、抑うつ的な精神状態に陥っていましたが、学外専門家のクライシスコミュニケーションにより蘇生し、肝をすえた。緊急被曝医療班の立ち上げは学外支援なしには不可能だった」(長谷川氏)。緊急被曝医療班の班員には「被曝医療は一定の危険を伴う業務である」ことをまず周知したという。

 しかし事態を受け入れつつも、夜間の就寝時には、「医療スタッフの全員が一度はさめざめと泣いた」と長谷川氏は語った。「しかし一度泣くと、人間は強い。恐怖を吹っ切って事態収束に当たった。このプロセスは、(終末医療の専門家の)エリザベス・キューブラー・ロスが指摘した癌であることを告知された患者の精神プロセスに近いと思った」 

 キューブラー・ロスは、著書「死ぬ瞬間」の中で、病名を告知された癌患者の心理状況が、否認、怒り、取引、抑うつ、受容という5つの段階で変遷することを報告している。長谷川氏によれば、この心理プロセスが原発事故に遭遇した医大のスタッフにも見られたのだそうだ。

 同大学では地震から半年を経過する現在も、除染業務担当自衛隊、学外医療チームの支援の下、緊急被曝医療体制を維持している。毎朝開かれる多職種会議で被曝医療の知識と原発の最新情報を共有し、達成事項、未解決問題を明確化する作業を続けている。

 「“フクシマ”に暮らすメリット、放射線によるデメリットを正しく比較し、判断行動するための情報提供を行うことも我々の責務である。私は新潟出身ではあるが、福島が大好きであり、これからも福島に住み続けたいと思う」と長谷川氏は締めくくった。

放射線技師が遺体の放射線も測定
 避難所や検案(検死)前の遺体の放射線サーベイには、現在も放射線技師らが当たっている。サーベイ作業に従事する放射線技師(サーベイヤー)を派遣している日本放射線技師会からの報告もあった。

 報告した諸澄邦彦氏(埼玉県立がんセンター放射線技術部副部長)によると、3月13日に内閣府原子力委員会と厚生労働省医務指導課から放射線サーベイヤー派遣の依頼が日本放射線技師会にあり、技師会の募集に全国から12名の放射線技師が応じ、福島県での活動を開始した。さらに4月には福島県警察本部から検案前の遺体に対する放射線サーベイの依頼があり、遺体の放射線サーベイも開始した。

 3月16日〜4月17日の期間、55名の放射線サーベイヤーが派遣され、放射線サーベイ終了後にはスクリーニング済証を発行する業務も行った。検案前に放射線サーベイを行った遺体は、4月11日から6月末までで630体を数えたという。

 遺体の放射線サーベイに従事するサーベイヤーは、60歳を超えた「人生の先輩たち」(諸澄氏)を中心に派遣したという。「数多くの遺体に接することを考えると人生経験が豊富な技師の方々が適任と考えた」からだ。しかし、それでも技師たちにかかったストレスは無視できないものがある。「夜、作業報告の電話で、『今日、検案した乳児はおんぶ紐しかつけてなかった』と話す人もいた。ちょうど、その方の孫と同じくらいだった」