南三陸町を離れることをためらわなかった、と言えば嘘になります。ですが、私も決して若いわけではありません。もう少し若ければ、町と一緒に診療所を復興させることも考えていたかもしれませんが、一日でも早く、自分のためにも、避難している人たちのためにも本格的な医療を提供したかったのです。

 南三陸町で開業した際の借金も若干残っていましたし、この年での2回目の開業に不安がなかったといえば嘘になります。ですが、福祉医療機構から低金利でお金を借りられましたし、「なんとかなるかな」と(笑)

 仮設の建物による開業は考えませんでした。仮設住宅で暮らす方々には診療所をサロンとして使ってもらい、明るい気持ちになってほしいと思ったからです。仮の建物ではどうしても気分が暗くなってしまいます。また、仮設住宅内に開業してしまうと、入居者以外は足を運びにくい。ですが、近くではあっても仮設住宅外ならば、どんな患者さんでも利用しやすいと考えたのです。新しい診療所を建てる際には、白くて広い待合室だけはこだわって設計をお願いしました。

 昨年8月に開業を決めて、開業したのは12月20日。冬を迎えてきびしい生活をしている仮設の人を迎えるため、資材や職員さんが不足する中、毎日夜中まで工事して急いで作っていただきました。ただ急いだため、床暖房で床が浮いてしまったり、あるいは仮の建具が入っているなど、今後も手を入れていく必要がありますが…。

震災で変わった診療のスタンス
 震災を経験したことで、私の医療は、治すことよりも癒すことに重きを置くように変化しました。

 以前の私は、「患者さんの命を守るのは自分たちで、命に対して医療は絶対的なものだ」と思っていました。ところが震災に直面すると、皆が第一に求めるのは“明日の生活の糧”。薬があっても仕方がないのです。生活が安定すれば、眠れるかもしれないし、血圧も安定するかもしれない。そのことに気付かされました。明日生活できることが分かった方が、薬よりも満足度が高い。医療とは、人が生きていくための一部分をサポートするものに過ぎないことを思い知らされました。

 聴診器さえなかった、避難所の私にあったのは医師としての肩書きだけ。それでも「先生がいると安心」と言ってもらえました。

 いるだけで安心してもらえる存在─。震災を通じて、医師の原点がそこにこそあると思うようになりました。学生時代に理想としていた医師像ではありますが、専門が外科だったこともあり、どうしても治すことばかりに目がいってしまう。今思うと、開業後も、患者さんと接する時間を取りたいと思いながら、どこか効率を意識した診療になっていました。

 何もない状況から始まった医療活動で、人を癒すことの大切さを悟りました。震災後は、患者さんと面と向き合って話す時間を長く取るようになりましたし、言葉を引き出す努力をするようになりました。医師患者関係を越えた人と人とのつながりを作る。それが、これから死ぬまで追求していくテーマになるでしょうね。

 診療所のそばの仮設住宅は、すぐにはなくならないでしょう。また、苦渋の決断で戻るのをあきらめ、登米に生活基盤を築く人も少なくないはずです。私は、そんな人たちに寄り添っていこうと思っています。