津波で壊滅的被害を受けた宮城県石巻市において、3月より復興支援団体まごのて救援隊を立ち上げ、支援活動を行い、5月29日に石巻市雄勝(おがつ)町に「雄勝まごのて診療所」を開設した。診療所を開設するに至った経緯を報告したい。

まごのて救援隊とは?
 「まごのて救援隊」は、平成23年3月11日に起きた東日本大震災に遭い、一個人でなにかできることはないだろうか?と思い立ったことからスタートした。震災翌日の3月12日、医師・山王(石井)直子と、石井肇の二人で、車に積めるだけの水や食料などを詰めてとにかく被災地に向かった。特に交通の遮断された地域や小規模の避難所、個人宅で避難される方々など、大きな支援団体や国、自治体などでフォローできない方々が多くいらっしゃるという現状を目の当たりにした。

 私たちは、小規模ならではの小回りのきいた“かゆいところに手が届く”現地での支援を行いたいと感じ、平成23年3月25日にまごのて救援隊を立ち上げた。詳しくはまごのて救援隊のブログをご覧いただきたい。

まごのて診療所開設まで
 初めは水や食料・灯油などの物資の搬送から始まった支援だったが、3月20日に北上町に支援物資を運んだ際に、避難所の受付をされていた方が、雄勝町出身で、「雄勝は道路が寸断されて物資が行き届かず陸の孤島化している。北上町も困っているが、もっと困っている地域があるから、行ってくれないか」と聞かされた。そこで、積雪残る峠道を越えて雄勝町に入ったのが3月21日であった。

 町役場の方々の働く避難所で、「医師ですが、何かお手伝いできることはありませんか?」と尋ねると、「医者がいなくて困っています。すぐに診療お願いします」ということで避難所に連れて行かれ、畳の上に段ボール箱を置いて、その場で診療が始まった。もともと高血圧症の多い土地柄で、10日以上降圧剤を服用せず、寒くて過酷な避難所生活のため、多くの方々が血圧が上昇していた。持参した医薬品はすぐに底をついてしまった。「これは見捨てておけない」と思い、毎週休みのたびに通う事になった。雄勝支所の保健福祉課からの依頼で、日赤グループなど他の医療チームと連携して、2カ所の避難所と役場の方々の定期的な診療を続けてきた。当初は患者さんの被災前の病歴も分からず、医薬品が不足し手探りの医療であったが、通い続けるうちに、町の再建のためには医療が不可欠であることが見えてきた。

 雄勝にあった医療機関は壊滅的打撃を受け、中でも石巻市立雄勝病院は、医師やコメディカルが津波の犠牲となった。再建の見込みはほとんどない。町にあった個人医院も全壊し、到底診療を再開できる状況ではない。町の再建に何が必要だろうか?

 仕事がなければ町に住むことができない。毎日の生活に食料品や日用品を買う商店・銀行・郵便局などインフラの整備が欠かせない。子供のいる家庭では教育が必須である。そして何にも増して、医療は不可欠な要素である。町に医者がいなければ、町の方々、特に持病を持つ高齢者は住むことができない。

 雄勝町は人口4300人(震災前)の漁業の町だったが、決して過疎の町ではなく、小学校・中学校を含めて四つの学校があり、後継者もいる「活きた町」であった。震災後、町内および周辺の町に約1500人の町民が暮らしているが、町外に避難している人も多い。5月の初めには仮設住宅の申し込みも始まり、町に残るか出ていくかの決断を迫られることとなった。「町に残りたいけれど、病院がないから住めない」という声を聞き、何とか町民に残ってもらい、医療がないために離れる町民に戻ってきてもらうために、私たちは診療所を開くことにした。

 東京都港区のクリニックと、300km離れた2カ所の診療所開設という異例の業態となったが、宮城県の担当部署の迅速な対応で、決断からわずか2週間で開設の運びとなった。町の水産業者の方から、作業場の建物を診療所として無償で提供していただいた。診療所に必要な机・椅子・診察ベッド・処置台なども町内の施設からお借りすることができて、地元の方々の応援で全て準備が整った。心から感謝している。

 日曜日・月曜日の週2日だけの診療所だが、町に診療所がある、ということで住民に安心していただき、町の復興につなげていければと考えている。復興支援の一つのモデルケースとして、他の地域の復興の参考になれば幸いである。

 以上が診療所開設のあらましだが、1回ではとても語りつくせないので、次回以降少しずつアップし、被災地医療の問題点も明らかにしていきたい。