DMAT活動総括
 阪神・淡路大震災後に体制が整備されたDMATは、震災後に多発するクラッシュ症候群や重症外傷への救命治療(被災地内での安定化治療と被災地外への後方搬送など)に従事することを想定していた。今回の津波災害では、多数のDMATが超急性期の被災地に、迅速に参集して活動することができた。しかし津波災害では、想定していた救命治療を要する重症患者の発生は多くなく、DMATの活躍は限定的となった。以下、論点を整理して述べてみたい。

1. 超急性期医療を担うDMATのシステムは、上手く機能した
 これまでDMAT活動要領の策定・改定および中越沖地震・宮城岩手内陸地震などの災害現場へのDMAT派遣経験の積み重ねによって、今回の災害においてもDMATの活動は迅速かつ大規模かつ有機的に展開可能であることが実証された。ポイントは、以下の4つである。

1)参集拠点を明確に設定した
2)意思決定機関である被災県の県庁にDMAT統括者を入れた
3)広域災害救急医療情報システム(EMIS)をフルに活用した
4)各活動拠点に統括DMATをおいた

 結果、300を超えるDMATが、24時間以内に被災地(茨城県、福島県、宮城県、岩手県)に入り、活動を開始し、超急性期の医療ニーズを情報共有しつつ、ほぼ適確に展開・実施することができた。

2. 超急性期医療のニーズは大きくなかった(津波災害の特徴)
 1.で述べたように、迅速かつ大規模にDMATの医療資源を被災地に投入し、かつ組織的に活動できる体制を確立することに成功した。しかし、今回の津波という災害の特徴によって、実際の超急性期救命医療のニーズは、それほど大きくならなかった。

 一方、被害が甚大かつ広域であり、孤立した地域の多発や燃料不足などの要因が重なり、救出救助の時期が長引いた。その結果、急性期の災害医療も長引き、DMATの活動も当初想定していた発災後72時間程度という活動期間を大幅に延ばす必要が生じた。宮城県でのDMAT活動は3月15日まで、岩手県でのDMAT活動は3月20日まで、福島県でのDMAT活動は、原子力発電所事故による避難地域内医療施設からの患者搬出などの追加の任務が発生し、3月22日までとなり、都合11日間の活動となった。

3.広域医療搬送が空振りに終わった
 発災後、早い段階から、甚大な被害が見込まれたことから、広域医療搬送の体制を早期に確立した。具体的には、被災地の陸上自衛隊霞目駐屯地(宮城県)、福島空港および花巻空港(岩手県)から羽田空港へ、自衛隊の航空機によって患者を搬送することを想定し、羽田空港では100名程度の患者受入を行う体制整備を3月12日午前中に開始した。さらに隊霞目駐屯地には、九州からDMAT 24チーム(119名)が参集し、広域医療搬送拠点(Staging Care Unit;SCU)を設置した。

 しかしながら、前述のごとく津波災害の特徴で、治療対象となる重症患者の発生数が多くなく、霞目駐屯地から羽田空港へ搬送した症例はなく、かろうじて福島空港から3例、花巻空港から6例が羽田空港へ航空搬送されるにとどまった。花巻空港からは、新千歳空港へ4例、秋田空港へ6例の搬送があり、自衛隊固定翼機を使用した広域医療搬送は、合計19例という結果であった。

 他方、当初広域医療搬送に従事することが期待され、航空機で被災地(霞目駐屯地)に入ったDMATは、自前で移動手段を持たず、持参した装備も限られていたことから、広域搬送以外の被災地内での医療支援活動を実施することが困難であり、十分な活動を実施することなく、九州へ戻ることを余儀なくされた。このことは、従来から予想されていたことであるが、実災害で現実に起こってしまったと言える。しかし、緊急対応が求められ、かつ不十分な情報に基づき判断しなければならない状況では、こういった、いわゆる「空振り派遣」は許容されるべきである。

終わりに
 阪神・淡路大震災のころは、医療支援チームが被災地に入って「どこで、どのような医療を実施するのか」整理されていなかった。「DMATは超急性期の救命医療を実施する」と整理したことによって、その後の「急性期医療:被災地内病院での入院治療」「亜急性期医療:避難所生活者への巡回診療、保健医療」と、他の災害時に求められる医療ニーズを明確化することができたといえる。

 現状は、過酷な避難所生活を余儀なくされている被災者への医療の継続的提供と感染症対策や心のケアなど、まさに亜急性期医療が実施されている。引き続き医療支援を続けていくとともに、被災地内での医療体制の復旧にも目を向けていかなければならない。