今般発生した東日本大震災に対して発災当日に出動し、被災地でDMATとして活動する機会を得た。今回の派遣経験を紹介するとともに、DMATの医療支援活動に関して総括し、現時点で筆者が感じている課題について、あくまでも個人の考えとして述べる。ただし、現在、DMAT活動の全体を整理する作業が、厚生労働省DMAT事務局で行われており、正確なデータは、その報告を待ちたい。

派遣報告
 東京医科歯科大学医学部附属病院は、医師4人、看護師1人、ロジスティクス担当の事務官2人の計7人の医療チームをDMATとして派遣した。地震発生当日の、3月11日の午後7時半に大学を出発した。都内は大渋滞で、午後9時にようやく首都高速道路に乗ることができた。東北自動車道では、郡山あたりから、亀裂や段差が生じたり、積雪している路面を走破した。

 12日の午前4時(発災約12時間後)に宮城県仙台市に到着し、県の最大の災害拠点病院である国立病院機構仙台医療センターにて、病院支援を行った。病院は地震による建物被害は軽度であったが、仙台市内の広範な停電のため電気・水が使えず、集中治療室や一部の病棟がかろうじて自家発電で運営されていた。

 12日朝7時の時点で、仙台医療センターに集合したDMATは25チーム、約130名であった。18チームが病院のERを6時間交代で支援し、5チームは沿岸部の津波被害地域の救出救助現場の指揮所に、2チームは自衛隊霞目基地に設置したStaging care unitで活動した。仙台医療センターに参集したDMATは、13日夜までにさらに52チーム(合計77チーム、約390名)に達した。

 病院機能としては、自家発電のみの電力供給のため、CTスキャンは使用出来ず、単純レントゲン写真と緊急血液検査など、一部の医療機器のみの稼働であった。手術室は一部の機能が残され、小手術のみ実施可能であった。病院のスタッフは大多数が参集しており、発災直後から不眠不休で勤務していた。

 DMATのER支援チームはそれぞれ、病院入口でのトリアージポスト、重症患者を治療する赤エリア、中等症患者を治療する黄色エリア、軽症患者を治療する緑エリア、広域搬送患者をケアするチームに分かれて活動した。私たち東京医科歯科大学のチームは、3月12日と13日にリーダーチームとして赤エリアを主体に活動した。

 1日に100人弱の患者が救急車で運ばれてきたが、ほとんどは野外の寒い環境で長時間救出を待ったことによる低体温症だった。重症症例(いわゆる赤タッグ)は骨盤骨折、重症頭部外傷、頸椎損傷や、車中で眠ったことによる肺血栓塞栓症などで、11日および12日はともに13名であった。中等症を含めた入院を要する患者数は、1日30人から40人程度であった。

 全体としてみると、圧倒的に軽症患者が多かった。その後、患者数は一旦減少したが、仙台市から遠方の沿岸部で孤立していた地域からの搬送患者が14日・15日に発生したため、二峰性の患者分布となった。まとめると、地震や津波の直接被害による患者は、発災から24時間以内の来院であり、しかもその大多数は救出までに野外で過ごした低体温症であった。24時間以降は、避難後に生じた傷病が大部分であった。

 4月10日時点での警察庁の発表では、この地震による日本全国の死者は12431人、行方不明者は15153人、負傷者は2869人である。特に宮城県では被害が最も多く、死者は7571人、行方不明者は6312人、負傷者は1122人であった。

 一方、1995年の阪神・淡路大震災では、死者6434名、行方不明者3名、負傷者43792名で、傷病者/死亡者比は、それぞれ東日本大震災は0.10、阪神・淡路大震災は6.80となる。死者(行方不明者)の数に比べ、負傷者の数が極端に少ないのが津波災害の特徴といえる。