相馬では多くの人が職を失った。風評被害も手伝って、福島から市民が流出している。人がいなくなったため、旅館やレストランも閉業している。相馬の名産品も、もう作れない。失業者はさらに増えるだろう。先日、風評被害を受けた福島の農業従事者が自殺した。雇用問題を解決しないと、このような被害者が増えかねない。

 4月15日、長野県知事の阿部守一氏が「逗留村」構想をしているという記事を見た。その記事を見て、「こういうのが欲しかった!」と思った。知事の構想は、被災者に、公共の保養施設や民間の宿泊施設に無料で入ってもらうだけでなく、農作業、事務などへの就労支援ならびに、産業団地や空き工場の情報提供、助成金制度の紹介をしていくというものだ。

 この逗留村付近に定住してもいいだろうし、被災地が回復したら地元に戻ってもいい。いずれにせよ、次のステップへの一時退避先として有効活用できる。知人の家に世話になっている人も、いつまでもいられるわけではない。気を遣うのは当然だ。東京新聞の調べでは、5人に1人が既に、避難生活に限界を感じている。長期的展望の見える方策が望まれる。

 最近、一番考えるのは「行動が遅い」ということについてだ。宇多田ヒカルが、日本赤十字に募金した8000万円の行方を心配していた。一部の識者は「募金なんて、適当に分配すればいい」という。本当にそう思う。平等に配ろうとした結果、募金が貯金になっている。「多少雑でいいから、誰か早く決めて下さい」と言いたい。

 日本赤十字の偉い人が、ここにいくら、あっちにいくら、といった形でぼんぼんと置いていけばいいと思う。「お金なくなっちゃいました!石巻にお金渡したいので、募金再募集!」と言い出したら、確実に文句が来る。だが、それが責任を取るということなのではないか。こうすれば、今よりたくさんの人が助かっているだろう。文句の出ない結論を出そうとすると、会議ばかり増えて、何も進まない。困るのは被災者である。

 私の行った老健施設は物資が余っていた。しかし、これは悪いことではない。問題なのは、物資が足りないところがあることで、物資が余っているところがあることではない。募金も同じだ。やっていいのかな、どうなのかな、と考え始めると、別の問題が出て来て、どんどん最初の趣旨から遠ざかっていく。「お金必要?」「はい!」「幹細胞取っておく?」「はい!」といった風にやれば、きっと反論が出てくるだろう。しかし、被災者は今も困っているし、作業員は今も被曝している。平等を重視しすぎると時間を浪費する。今、一番貴重なのは時間だ。

 目的からダイレクトに実行に移れる人物が必要だ。責任を取る覚悟を持ち、最適な判断を下して、すぐ行動する人。「明日の朝ご飯がない。○○食分、弁当屋叩き起こして作らせて」。私の目には、相馬市長がそのような人物に映った。

 最後に、福島について書いておきたい。風評被害が続き、どこかの小学校では、福島から来た転校生が、放射線が出ると言われるいじめが起こったらしい。これは小学生の話だが、ブランドがモノ以上の価値を持つように、イメージは事実より重いことが多々ある。福島の沿岸部の復興には時間がかかるだろうが、そもそも人が集まってくれるだろうか。人口は繁栄に直結することを考えると、福島はもう衰退する一方なのではないか。

 また、原発がいつ収束するのか分からないが、今の状態が1年続いたとしたら、福島在住の人は、1年後も不安を抱えたままだろう。親は「子供は感受性が高い」と聞いて、子を移動させるのだろう。子供はどんどん少なくなる。

 こういうのを郷土愛と呼ぶのだろうが、やはり地元でお酒を飲むのは楽しい。英語で地元は“hometown”だが、帰る家があるのは幸せなものだ。何か、福島の明るい未来のために提案したいが、思いつかず、今は原発が収まる事を待つのみである。作業者の皆さん、頑張って下さい。そして、皆さん、応援して下さい。