岐阜県から、県下の公立病院に宮城県への医師派遣への協力お伺いがありました。「各施設がチームを出しあって引き継ぎながら、4月いっぱいまで被災地への医療救護を継続しよう」というものです。通常、災害派遣医療チームは、医師、看護師、薬剤師、事務員などのメンバーで構成されるので、ある程度人的余裕をもった大きな施設でないと、これに応じることは難しいです。

 当院はへき地にあって医師・看護師不足に悩む100床クラスの病院であり、たまたまこの時期、外科スタッフの転勤に伴い予定手術がなかった外科医1名(すなわち私)と、事務員1名の合計2名を拠出するのが精いっぱいで、医療チームとしては拠出する事はできませんでした。そこで、第2班・第3班にそれぞれ合流するという形で参加することに決まり、4泊分の冬山装備と医療資材をワゴン車に満載して、3月23日の朝8時45分に当院を出発。同日の19時20分に宮城県亘理町に入り、翌24日から26日までの当地での診療を行いました。

 現地には拠点となる公民館があり、岐阜県と福井県から派遣された医療チームがここに寝泊まりしていました。この公民館は夜間診療所も兼ねており、福井県のチームと交互に当直しました。既に電気が復旧していたため、暖房は使用可能で、冬山装備は使いませんでした。布団はありましたが、数が足りないのでわれわれは寝袋で寝ました。うれしいことに、到着日には飲めないものの水がでるようになり、トイレの状態は改善しました。

 活動内容は、「毎朝公民館からワゴン車に資材を積み込んで、各避難所に出向き、そこに簡易診療所を設営して診療に当たる。それと同時に、避難所にいても簡易診療所まで動けない方や、流行性疾患にかかっていて、避難所の中でも隔離された場所にいる方の往診に向かう」という形でした。どの避難所に出向くかは、前夜と当日の朝に現地の保健師さんが公民館に来て、調整されます。われわれの合流により、担当する避難所が2カ所に増えました。

この時期の外科系疾患について
 外科・総合科として、インフルエンザも含めてどの科であっても対応しましたが、関わった2チームの中で外科医は私一人であったため、これについて考察します。

 今の時期に、避難所で需要が多いのはご承知のように内科的疾患であり、外科的疾患は数は少ないのですが、発災当初とは違うタイプの需要がありました。すなわち、発災時の外傷が感染壊死を起こしているもの、また抗凝固剤を服用していたためか発災時打撲した後に下腿に看過できない大きさの血腫ができている例、さらに皮下膿瘍などもありました。それぞれデブリードマン、血腫切開除去(50ml〜100ml程の血腫が噴出)、膿瘍切開などを要しました。

 一方、被災地で家族などを探しまわった結果、転倒するか、釘を踏んでしまうなどして新たに挫創・刺傷など負う方も出始めていました。ご承知のように、釘踏みに代表される汚染的刺傷は大変危険です。外に膿が出にくい状況になりますし、破傷風菌などの嫌気性菌が跳梁跋扈するかもしれません。汚染した刺傷ではできるだけ早く、一旦閉じていても刺傷の入口を切開して広げて、中を徹底的に洗浄することが必要になります。

 これらの処置で用意したピンセットはすぐになくなってしまい、他施設から使い捨てのピンセットをもらって切り抜けました。意外に重宝したのは、500mlの洗浄用生理食塩水でした。汚い傷など、水道水で泥などをまず洗浄したいところなのですが、まだ飲用できない水でしたので、生食を用いて洗浄するしかないわけです。そのほかに、特に有用であったのは局所麻酔薬でした。もちろん、切開にも用いましたが、被災地の片づけや、あるいは逃げている間に肩や腰が痛くなった方も多く、これらを局所麻酔薬のトリガーポイント注射で、劇的に軽減させることができました。