先ほど、(3月23日夕方)福島県いわき市のいわき市立総合磐城共立病院から、人工呼吸器装着神経難病患者5名を自衛隊のヘリで2往復して、北里大学東病院まで搬送して帰ってきたところです。今回の搬送の顛末、この4日間を振り返って、皆様にもお知らせしたいと思って、書きました。

 搬送依頼の第1報は、4日前の3月20日日曜日にありました。私は救急医や災害専門医でもなく、神経難病を専門としている、ただの神経内科医です。そのため、こんなに搬送手段の手配が大変という自覚もないまま、「月曜日に搬送になるかもしれないけれど、添乗医師確保が現地で難しいので」とのことで、月曜日の早朝に、福島に向かいました。風評被害で、空港からいわき市内に向かってくれるタクシーを確保するのが困難とのことで、病院の車で迎えに来ていただきました。多くの市民が県外に移動しており、町は閑散としていました。

 今回、日本神経学会は地震発生後4日目から「被災地の人工呼吸器装着神経難病患者の受け入れ先手あげリスト」を作成し始め、被災地から依頼があったらどこの病院で受けるかというマッチングの手順ができており、素早い対応だったと思います。

 しかし、搬送手段の確保となると、大変難しいものでした。一度にたくさんの方を移動させるとなると、内閣府の緊急災害対策本部を通して自衛隊に依頼がいくようですが、立て込んでいることもあり、なかなか予定が立ちませんでした。とにかく待機しているように言われ、福島に来たものの、いつ移動できるとも分からず待つのはつらいものでした。

 なぜ、連絡が来ないかが分かれば、まだ対応のしようもあるのですが、どういう手順で搬送手段が決まるのかよく分からないまま、今か今かと連絡を待っていました。その間、少しでもお役に立てればと思い、北里チームを作って他の地域からの災害援助隊と同様に、避難所の診療のお手伝いをさせていただきました。

 22日の夜になって具体的にヘリの手配ができたことがわかり、23日の早朝から亀田総合病院に8名、当院(北里大学東病院)に5名の人工呼吸器を装着した患者さんを無事に搬送できました。

 磐城共立病院のように地域の基幹病院として、最後の砦のように何でも受け入れなければならない状況になっている病院の方々は、みなさん同じ思いでおられると思います。「すべて断らない」という指示がでており、患者さんがどんどん押し寄せてきます。

 本日(3月23日)は、我々が出発した後も、「水道が復旧せずに、これまで自家発電で頑張ってきたけれども、ついにギブアップした」という病院から、百数十人の患者さんを受け入れる予定になっています。先ほど、到着の報告の電話を病院にしましたが、受け入れでごった返しているようでした。

 こんなことが被災地の各地で起きているのだと思います。同じような大変な状況で、自らも被災者でありながら、医療に奮闘されている方々がいて、一方、何とか力になりたいという全国の医療者がいます。しかし、その間を取り持つシステムが脆弱なため、支援者を有効に活用できない状況です。磐城共立病院にも、「手伝いたい」という申し出が各地より来ているようですが、どのように取り扱ったらよいのか、困っている様子でした。実際、ボランティアの受け入れ自体にも、手間がかかってしまいます。

 病院の窓口であった小山先生は救急部の責任者で、自分も救急患者の診療をしながら、搬送の依頼を同時に各地にされていました。もちろん休みはとらず、数時間仮眠してはまた仕事と、電話するのも申し訳ない状況です。誰かが搬送依頼に専任でつくか、少なくとも、搬送依頼のやり取りの補助をするだけでもずいぶん違うのにと感じました。この手配のやり取りだけで、非常に多くの時間と労力と精神力をロスします。病院の皆様には、頑張っておられることを多くの方々にお伝えすることと、この状況が落ち着いた暁には一緒に飲みに行くことを約束して帰ってきました。

 今回の経験を通して感じたことは、このような状況のやり取りをする専任者をボランティアでもよいので、被災地の拠点病院に派遣する必要があるのではないか、行政のみでなく、民間で統率のとれた組織を形成し、補強しないとこの状況を乗り切れないのではないかということです。支援したいという情報を垂れ流すだけでなく、マッチングやコーディネイトする部署が必要です。

 今後亜急性期に入るに当たって、急性期医療だけでなく、慢性期医療や介護についてもコーディネートが重要になると思います。各被災地を裾野として、人を派遣して情報を集約し、内閣府とも連絡・交渉するような、統制のとれた民間の災害支援組織ができないでしょうか?