第2陣の出発後、残された患者は94人。11時1分には3号機が爆発した。残っていた自衛隊員1人は「オフサイトセンターの指示を仰ぐ」と言って職員の自家用車で病院を出たが、そのまま戻らなかったという。

 鈴木院長らと警察官は引き続き待機するものの、次の救出は来ないまま。ずっと随行していた双葉警察署副署長から22時、鈴木院長ら職員の避難を強く促された。一方で自衛隊の救出チームが病院に向かうという連絡もあり、そのルートの途中である割山峠(20km圏外)まで警察のワゴンで向かい、自衛隊と合流するため待機した。しかし、3月15日10時まで待っても、自衛隊は到着しなかった。

 15日午後になって、自衛隊が別のルートで大熊町に入り双葉病院での救出を始めたことを知らされる。この時点で再び20km圏内に戻ることは不可能と警察副署長から指示され、鈴木院長らは搬送に同行することを断念したという。

「バッシングの発端は福島県の誤った発表」
 以上が、双葉病院側が説明する経緯だが、これが「置き去り」報道となったきっかけとして、福島県災害対策本部救援班が3月17日にプレスに配った資料の誤りを杉山氏は指摘する。

 その資料は第2陣に死亡者が出た件について説明したもので、14日から16日にかけて、自衛隊は「ただちに」救出に向かったが、「病院関係者は一人も残っていなかった」ため、患者の状態などは一切わからないままの救出となったと書かれてある。つまり、職員が残っていた14日の救出と割山峠で合流するために職員不在となった15日の救出を一緒くたでまとめていて、病院関係者が患者を置き去りにしてただちにいなくなったという印象を強く与える内容となっていた。

 杉山氏ら病院関係者はその後、事実関係の調査を続けており、週刊ポストが7月に4回シリーズでこの事件の検証記事を掲載したほか、地元メディアなども再検証の動きを始めている。そういった動きの中で残る疑問として、杉山氏は以下の項目を挙げる。

・大熊町はなぜ重症患者や寝たきり患者がいるのを知っていながら放置したのか?
・大熊町と県の災害対策本部の連携にエラーはなかったのか?
・3号機爆発の後に職員の車で去った自衛隊員はどこに行ったのか? 救出の手配をしたのか?
・なぜ、福島県災害対策本部救援班は誤報を流したのか?
・福島県に、著しいバッシングと報道被害の原因を作ったという認識はあるのか?
・福島県は遺族に対し、避難活動の遅れがあったことを説明すべきではないか? 被災した双葉病院に責任を押しつけて知らんぷりか?

 なお、県側は3月17日のうちに「避難時に院長はいた」という訂正は出しているものの、バッシングの沈静化にはほとんど寄与していない。未曾有の事態となった今回の複合災害において、行政や自衛隊のシステムも大混乱したことは想像に難くなく、ヒューマンエラーがあったとしても単純に非難するのは酷かもしれない。しかし、事実の検証を置き去りにしたままでは、同じエラーが今後も繰り返されることになりかねない。