双葉病院の杉山健志氏(現在は患者の避難先であるいわき開成病院に勤務)

 「福島県は患者の避難の遅れの責任を病院に押しつけて知らんぷりか?『患者を置き去り』という誤報を流して報道被害を作ったという認識はないのか?」

 福島第一原子力発電所の事故発生直後、「重症患者100人以上を置き去りにした」と報道され、多くのバッシングを受けた双葉病院の杉山健志氏(現在は患者の避難先である、いわき開成病院に勤務)は、10月29日に都内で開かれた医療制度研究会で講演。原発事故発生から数日の双葉病院の状況を説明するとともに、避難への対応の遅れ、報道についての疑問と憤りを改めて訴えた。

第1陣の避難後、重症患者の救出チームは待てど一向に来ず
 双葉病院(福島県大熊町)は福島県浜通では最大規模の精神科専門病院で、病床数は350床。福島第一原発からは約4.5kmに位置する。地域の認知症患者を受け入れ、約4割が高齢者で、常に満床状態だったという。

 杉山氏は講演で、発災からの双葉病院の状況を時系列に沿って説明。以下がその主な内容だ。

 3月11日時点の双葉病院の入院患者は340人。震災直後は、津波が及ばなかったこともあり、人的被害はなかった。電気、ガス、水道、固定電話といったライフラインは寸断したので、救援物資を待って、医師4人と看護師、事務職員が泊まり込んで対応した。

 3月12日5時44分、避難指示エリアは原発周囲3kmから10kmに拡大。そのため、病院職員は町役場にたびたび足を運び避難車両の手配を直接依頼。12時ごろに大型観光バス5台が到着し、自力歩行可能あるいは意識が清明な患者209人に職員60人あまりが同行し、第1陣として避難した。このとき、町は既に無人になっていたという。第1陣は数カ所の避難所をたらい回しにされ、5時間半後、50km西の三春町に到着した。

 第1陣が出発し、残った病院職員は院長の鈴木市郎氏のみ。併設する老人保健施設「ドーヴィル双葉」には約100人の入所者とともに職員10数人が残っていたが、第1陣出発から1時間半後の15時36分に福島第一原発1号機が水素爆発。

 そのためドーヴィルの職員も帰し、この時点で残ったのは鈴木院長、ドーヴィルの施設長と事務課長の3人のみとなった。大熊町の職員も避難して、町役場にも既に誰もいなくなっていたという。鈴木院長は双葉町にある別の老健施設で救出活動中の自衛隊に双葉病院の患者救出を依頼するも、「トラックなので、この寒さでは重症患者の生命の保証ができない」と断られ、夜に来た警察官にも「今日の避難は無理」と言われた。

 3月13日には看護助手の夫妻が出勤して患者のケアに奔走。鈴木院長は引き続き警察や自衛隊に訴えるも、避難の手配はされないままだった。そして、13日夜から14日未明にかけて重症患者3人が死亡した。

 3月14日になって、自衛隊によるバスが到着し、第2陣の避難が始まる。まずは、ドーヴィルの入所者約100人全員が出発。鈴木院長ら4人(常勤医師1人が出勤)が警察官約10人とともに患者のトリアージと移動に手を取られている間に、双葉病院の重症患者が運び込まれたバスも、満員になり次第次々と出発。結果、医師など職員が同行できないまま、患者は南相馬、福島、郡山を経由し、いわき市内の避難所となっている高校体育館に搬送された。この移動でバス内では3人が死亡し、医療設備が全くなく、暖房も不十分な体育館で11人が死亡した。