日本赤十字社石巻赤十字病院は、東日本大震災の発生時に地域で唯一機能が維持された医療機関として、災害拠点病院としての役割を果たした。同院はがん診療連携拠点病院でもある。9月2日から仙台市で開催された第19回日本乳癌学会学術総会の特別企画「災害時における乳癌診療」で、同院乳腺外科の古田昭彦氏は「災害時の乳癌診療は、診療のネットワークが構築されていれば対応は比較的容易」と語り、体験に基づく「私見」を述べた。

 3月11日14時46分に発生した震災では石巻市の大部分が冠水したが、同院は内陸部に移転していたため津波は到達しなかった。患者と職員にけが人や死亡者はおらず、停電や通信の途絶はあったものの、建物や設備の被害は最小限ですんだ。地域の医療機関はすべて一時的に機能を失い、そのいくつかは完全に崩壊した。そうした状況下で、同院は多数の医療チームの応援を得て、災害拠点病院としての役割を果たした。

 同院には、免震構造はもとより、2重化電源、非常用発電機、入院患者用の食糧の備蓄などの備えがあり、職員の災害に対する意識が高かった。地震発生から4分後の14時50分には災害対策本部を設置し、災害レベル3(最大)を宣言、通常診療を中止し災害モードに移行した。15時43分にはトリアージ・ポスト、重症度別治療エリアの設置が完了した。

 震災後、最初の患者は15時23分に来院した。初日の救急患者は99人で、自力またはパトカーでの来院・搬送だった。石巻管内の救急車は17台中12台が津波で被災していた。震災発生から1週間の救急患者数の推移をみると、2日目は779人、3日目は1251人でピークとなり、4日目以降は徐々に減少した。古田氏は当時を振り返って「災害医療は“総力戦”。特定の専門家の仕事ではない」と話した。

 地域で唯一機能した同院には、さまざまな課題が発生した。入院ベッドの増床、予想外の要介護者の受け入れ、HOTセンターの開設、すべての透析患者の受け入れ、5倍になった分娩への対応、すべての人への処方箋の交付、診療機能を維持するための後方搬送などだ。最も問題となった患者の後方搬送については、東北大学病院が窓口となり、一括して転院を受け入れた。

 多数の救護チームを統括した石巻圏合同救護チームが活動を開始するのを見届けた後、古田氏らは日常診療の再開を目指した。同院は地域の9割強の乳癌患者の治療を行っており、2010年には151件の手術が行われた。近隣病院には自ら乳腺外科専門外来を開設した。

 震災当日、同院の乳癌の入院患者は6人で、このうち2人は震災当日に手術を終えたばかりで、3月17日に退院した。別の2人は転院、1人は放射線治療中断を余儀なくされた。

 外来診療は約3週間休診し、この間に受診予定だった患者は286人に上った。予定の化学療法が延期された患者は35人で、化学療法は最優先で4月4日から再開された。予定手術が延期された患者は9人で、1人が転院し、転院を希望しなかった患者には術前ホルモン療法の追加やホルモン療法のみへの変更、手術の延期などで対応した。乳癌手術は、近隣病院で手術室の提供を受けて4月20日から再開され、同院では6月10日から再開された。

 古田氏は「乳癌診療は地方においても標準化・集約化・情報公開が進んでおり、診療のネットワークが構築されていれば、対応は比較的容易」と話した。ただし、非常時には日常が凝縮されて現れる。普段できていないことは非常時にもできない。

 「医療崩壊や公立病院の経営難が進む地方では、それ故に、従来の二次医療圏枠にとらわれない救急医療と癌医療の中心となる“スーパー拠点病院”が必要と考える」と古田氏は述べ、講演を締め括った。