医療法人双熊会理事長で前宮古市長の熊坂義裕氏

 助かってよかった、ご飯が食べることができてよかった――。医療法人双熊会理事長で前宮古市長の熊坂義裕氏(写真)は、津波災害時の糖尿病医療について感じたこととして、まずこう語った。札幌で開かれている日本糖尿病学会JDS2011)で、5月19日に開催された緊急シンポジウム「災害時の糖尿病医療」に登壇。被災地の1つである岩手県宮古市で今も診療を続ける熊坂氏は、災害直後からこれまでの動きを報告した。

 熊坂氏は冒頭、5月9日現在の宮古市の被災状況を説明した。死者は411人、行方不明は490人、家屋倒壊は4675件(一部破損、床上・床下浸水は含まない)、避難所数は21件(4月22日現在)、避難者数は1946人(4月22日現在)などとなっている。そのうち医療機関(医科)の被災状況は、診療所では全半壊が4カ所(現在は全半壊の医師4人のうち2人は仮設診療所で診療を続け、2人は医療活動を停止せざるを得ない状況にある)、床上・床下浸水、一部破損は9カ所(現在は通常通りの診療)で、被害なしは11カ所だった。病院の4機関は、すべて被害はなかった。

 悲しい知らせは、新聞の慶弔欄からもたらされたと振り返る熊坂氏。3月11日から4月8日までに掲載された377人のうち、熊坂氏の診療所に通っていた患者さんは93人にのぼった。

 熊坂氏の診療所は幸いにも無事だったが、目の前の川の水かさがあと30cm高かったら浸水は免れない状況だったという。目の前の景色が一変していることに驚いた熊坂氏は、「病院は開いていないとだめだ」と判断。停電、断水の中にありながら、震災翌日から診療を開始した。4月10日までの1カ月無休で、院長とともに延べ2857人の診療に当たった。なお4月11日からは、医療需要から判断し、通常の診療形態に戻して診療を続けている。

 耐糖能異常を含む糖尿病患者は、約1100人。うちインスリン使用者は270人でI型が20人だった。「当院では院内処方をしていたことが功を奏した」と熊坂氏。宮古地域で最大のインスリン使用患者を抱える医療機関であったため、もしも被災し診療が続けられなかったら大きな混乱を招いただろうと述懐した。

 インスリンなどの薬剤の確保は、個人的なネットワークを通じて確保した。3月16日には日本糖尿病協会からインスリン240本が届き、うち120本を県立宮古病院へ、60本を宮古医師会へ届けた。60本は自院に保管したが、在庫が確保できたことで「安心して診療することができた」(熊坂氏)という。

 このインスリン確保の情報は直ちに保健所や市に通知。各避難所に張り出す医療機関情報の熊坂氏の診療所欄に「インスリン使用中の患者対応可」と記載してもらい周知を図ったという。

 ただ、避難所ではなく、親戚や知人の家に身を寄せていた人が多く、このような人に「インスリン使用中の患者対応可の医院」という情報が伝わっていたかどうかは不明だ。情報手段が途絶える中、いかに効率よく、必要な人に必要な情報を届けるかは、今後の大きな課題となる。なお、薬剤の流通は、当初こそ滞っていたが、メーカーや流通関係者らの努力により、宮古市では3月21日の週にはほぼ通常通りに復旧した。

 肝心の糖尿病患者の状況は、3月12日から25日までの2週間に熊坂氏の診療所を受診したインスリン使用患者のうち、家が全半壊した人は29人だった。また、通院していた医療機関が全半壊で診療休止となったため受診したインスリン使用中の患者は、6人だった。

 講演の締めくくりに熊坂氏は、災害時の糖尿病医療について感じたことをまとめた。「まずは助かってよかった。ご飯が食べることができてよかった。避難所は炭水化物中心(おにぎりやカップめんなど)、お菓子、缶詰の宝庫だった。そこでは食事の選択の余地がない。周りへの気兼ねからつい全部を食べてしまう」。こんな患者に対して熊坂氏は、基本的には何も言わなかったという。「身内の遺体捜索をしている患者の血糖値が悪くても、薬を飲み忘れても、食事制限を守れなくても、運動をしなくても、何も言わなかった」。震災現場の現実に、「血糖コントロールや合併症の予防は、平時に価値を持つもので、有事にはなんら意味をなさない」ことを思い知らされたからだ。

 これから復旧、復興へ向けたさまざまな活動が展開されていくが、それにつれて医療ニーズも変わっていくとみる熊坂氏。「糖尿病専門医としての力量を発揮できる日が一日も早く来ることを願っている」と語った。

(日経メディカル別冊編集)