会場は、立ち見ができるほどの盛況だった。今回の日本糖尿病学会の目玉の一つ「糖尿病劇場I」が5月23日、開演した。目の前で繰り広げられる寸劇に、会場ではマスク越しの笑い声がこぼれる。患者役は終始インスリン治療を拒み、一方の栄養士や医師は一生懸命にインスリン治療を勧める。日常診療や療養指導の中で、普段どこの医療施設でも遭遇することの多い場面が再現される。残念ながら、患者の心の声を代弁する黒子は、「インスリン治療、それがなんぼのもんやねん?」との態度を崩すことはなかった。

 糖尿病劇場の狙いは、日常診療でよくある患者と医療者のやり取りを再現することで、参加する医療者が自らを振り返り、問題点に気づいてもらうこと。今回のテーマは「なぜ患者はインスリン治療を拒否するのか」。

 最初は、浪花医師が栄養士の堂島さくらに、患者である福島ほたるの食事指導を依頼している場面。浪花医師は、福島ほたるがインスリン治療の段階にあることを告げる。その上で、栄養指導がインスリン治療導入のきっかけになればと願い、さくらの手腕に期待した。さくら栄養士は、その期待に応えようと自分のスキルをすべて出し切って指導に当たろうとする。

 「食事が大切なことはご存知ですよね」「食換表は知ってますよね」「今度からはコロッケは衣をとって食べましょう」「トンカツも衣をはずせばカロリーを減らせますよ」などと、堂島栄養士のマシンガントークが続く。しかし、福島ほたるは終始「ええ」「はあ」「そうですね」など心ここにないといった返答のみ。結局は「インスリンはいややねん」という態度を崩さない。たとえばこんな会話が続く。

 堂島「朝から焼肉ですか」
 ほたる「はい」
 堂島「ササミなら大丈夫ですよ」
 ほたる「へえ、そうなんですか」
 ほたるの心の声を代弁する黒子「(ササミは焼き鳥やないか)」

 次の場面は、患者ほたると浪花医師の面談の風景。浪花医師は、今日こそインスリン治療を認めさせたいと意気込む。患者役のほたるは、いつにない主治医の勢いに押されながらも、何とかしのごうとする。

 浪花医師「やはり血糖値が高いですね。そろそろインスリン治療にしないといけないですよ」
 ほたる「学校の行事なんかが続いたんですよ。もうちょっと待ってください」
 浪花医師「もう2年も待ったんですよ」
 ほたる「ええ、でも運動もしますから、食事も守りますから。いつもの飲み薬にしてください」
 ほたるの心の声を代弁する黒子「(今日の先生は勢いがあるわ。早めに切り上げて帰ろう)」
 浪花医師「仕方ないですね。では今日はいつもの薬を出して置きます。また1カ月後に来てくださいね」

 会場では寸劇が終わるたびに、京都医療センター臨床研究センターの岡崎研太郎氏(写真)や東京大学医学部附属病院の大橋健氏らの司会で、フロアからの声をくみ上げていく。参加者もまた登場人物であることが、糖尿病劇場の重要な要素の1つだ。

 まず、寸劇での医療者の対応を10点満点で評価してもらい、どこが良かったか、何が悪いかなどを挙げてもらう。そこから明らかになるキーワードを司会の2人がまとめていく。

 今回のテーマは「インスリンの抵抗を持つ患者は多い」という実態を反映している。たとえば、教育入院中にインスリン治療を開始した2型糖尿病患者110人中、当初は「抵抗感があった」と回答したのは80人、実に73%だったという報告がある(岡崎氏、1999)。また、もし医師にインスリン治療を勧められたとしても、30%の2型糖尿病患者は「絶対にやりたくない」と考えているという海外の報告もある(Polonskyら、2005)。 

 ではなぜ患者はインスリン注射を嫌がるのか。岡崎氏らは、DAWN Studyの成果を紹介しつつ、インスリンに対する感情や考えが、患者と医療者の間で食い違っていることを指摘した。つまり「医療者は患者の思いをあまり理解していない」というのがインスリン治療拒否につながっているという見方だ。

京都医療センター臨床研究センターの岡崎研太郎氏

 DAWN研究によると、「あなたは、糖尿病を診てもらっている人たちとの関係はよい」という質問に同意した患者の割合は、調査した10カ国余りで、日本は最下位の49%に過ぎなかった。平均は89%であり、日本の低さが際立っている。また、「私の治療に関わっている人たちは、私のことについてよく話し合えている」という質問では、ドイツが61%、英国は60%、仏も50%というレベルにある中、日本は38%に過ぎなかった。

 岡崎氏は開演に先立ち、なぜ患者はインスリンを拒むのかの問いかけの中で、こう指摘していた。「本来は味方であるはずのものがいつしか敵になったのは、お互いの理解を深めようとしない怠慢から生まれたのではないかと私たちは考えます」。

 糖尿病劇場Iの幕を閉じるに当たり、大橋氏は1つのイラストを提示した。そこには「同じキャンバスに向かう」とのタイトルがついている。「患者さんは、私たち医療者にとって、治療同盟を構成する仲間なのだから」という主催者のメッセージが込められていた。

 なお、今回の糖尿病劇場に登場した医師、栄養士、患者らは、劇団ケンケンの俳優らが演じた。