4月18日、月曜日。地震で薬がなくなった患者が朝早くから押し寄せるかもしれない。そんな予感と手付かずのDIコーナーの片付けのため、朝7時半を集合時間としていたのだが、ずいぶん早く薬局に着いてしまった。

 「おはようございます。ありましたよ、ノートパソコン。でもダメっス。完全に壊れてます」。残念な報告だが、ケンシロウの声にはそういった感情は一切滲んでいない。

 「おはようございます」。あゆみさんももう出勤している。2人ともやる気満々だ。「院長先生から電話があって、出勤したらすぐに顔を出してください、とのことです」

 はて? なんだろう。僕はタイムカードを押すのも忘れ、院長先生の下に急いだ。

* * *

 「何だったんですか?」 薬局に戻ってきた僕を見つけるや否や、あゆみさんが駆け寄ってくる。「もう患者さん来てますけど、8時を回ってるのに病院の玄関がまだ開いていないみたいで……」

 僕は院長先生から聞いたことを淡々と2人に伝えた。残念ながら、今日、病院は開けられない。まず電子カルテが機能していない。この復旧に時間が掛かる。業者はあと2日でなんとかすると言っているらしい。次に、スタッフの問題。職員さんの多くが被害の大きなエリアに住んでいるようで、道路が開通していない、橋が落ちている、そして家屋の半壊・全壊。さらに、その他の設備の修繕とか――。

 「でも、患者さん来てますよ。どうするんですか?」 ケンシロウが窓越しに患者さんたちに目をやりながら僕の話を遮る。「ユウさん、それでそのまま帰ってきたんっスか?」

 見くびってもらっては困る。この地震で薬を無くした人はもちろん、地震発生から数日たっている。薬を切らしている人も大勢いるはずだ。何の措置も取らずに急に閉めるなんてわけにはいかない。だから、今日と明日は、薬局メーンで患者さんを何とかする。病院を通したところで、電子カルテが機能していない以上、患者さんの処方内容すら分からない。

 「何とかするって……処方箋出ないんですよね?」 あゆみさんはすでに涙目だ。「震災ならOKというわけじゃないんですよね。なんか通知が出ないとダメってFacebookのタイムラインに流れてましたし……」

 大丈夫だ。院長先生から、定期処方Doで1週間分のみ交付する許可をもらってきた。薬局の患者対応の中で何らかの問題を確認した際は、その都度、院長先生の携帯へ直接電話して相談する。遠慮なく掛けていいと言われている。「申し訳ない、みんなに頑張ってくれと伝えてほしい」とも。問題ないものは事後報告。病院に掛かってきている電話も、薬だけなら薬局に、と誘導してもらう手筈になっている(注:4月19日の朝までに、処方箋なしで調剤してもよいという事務連絡が出された)。

 「あっ、患者さん帰っちゃいますよ」。あゆみさんが慌てて薬局を飛び出し、患者さんを引き留めに行く。

 「オレ、病院の自動ドアのところに貼り紙してきますね」。ケンシロウが黄色のレセプト用紙と油性マジックを握る。「いつものお薬を1週間分だけ薬局にてご用意できます。お薬手帳を持って、直接、薬局にお越しください、と。これでいいっスね」

 そう、お薬手帳の本領発揮だ。地震で紛失した人も、もともと使っていなかった人も、この非常事態だ。強制的に作って、みんなに持ってもらおう。

 薬局の中に臨時の受付窓口をつくる。ここで事情を説明するとともに、患者情報やお薬手帳の有無、お薬手帳再発行の必要があるかシールでよいかなどを確認する。処方箋がないので、薬歴の記録を基に調剤を行う。ジェネリックの希望などを聞いている暇はない。

 僕たちは慣れない動線と精神的な緊張、そして時折襲ってくる揺れのためか、少しテンパっていた。13時を回る頃、来局患者の数は60人を超えていた。

 「ちょっと切れましたね」。薬局内に患者さんの姿がなくなった途端、あゆみさんは溜め込んでいた緊張感を吐き出すかのように言った。疲労困憊(こんぱい)といった感じだ。無理もない。患者さんの不安をいちばん最初に受け止めているのは受付なのだから。「私、投薬は少ししかやっていないけど、ただ間違いなく渡しているって感じでした……」

 「オレもなんか的が絞れないというか、手応えがないっスね」と、ケンシロウも戸惑いを隠せない。

 僕も最初は戸惑ったが、少し勝手がつかめてきた。まずは、“患者さんがどこにいるのか”を確認するとうまくいく。つまり、自宅なのか、避難所なのか、そして忘れてはならないのが車中泊。次に食事は摂れているのか、特に水分はどうなのか。この2点だ。

 「なるほど衣食住じゃなくて、非常事態だから逆。まずは住、次に食。今の季節、衣は大丈夫でしょう」。ケンシロウには僕の意図が伝わっているようだ。

 「もっと具体的にお願いします」。あゆみさんが挙手してケンシロウに説明を求める。

 「自宅にいるということは、たぶん地震による被害が少ない。避難所ということは自宅に居られない理由があるわけだし、ストレスも大きいだろうな。配給もまだ十分には行き届いていないみたいだし。それと、さっきノロウイルスが避難所で出たってニュースで言っていたよ。最後に、車中泊だとエコノミークラス症候群のリスクが高まる。こんなとこっスかね」

 「なるほど〜。ケンシロウさん、さえてますね」

 さすがケンシロウ。それを踏まえて、作戦を立てるんだ。まず、今問題となっている車中泊。これは僕自身が現在進行形で経験しているからよく分かる、というか妻から聞いている。女性はトイレに行きたくないから水分を控えてしまうのだ。これがマズイ。車中で長時間同じ姿勢を取り、水分が不足すれば、当然エコノミークラス症候群(深部静脈血栓症/肺塞栓症)のリスクが高まることになる。

 “リスク因子は(1)下肢の腫脹がある、(2)打撲を含む外傷がある、(3)車中泊の経験がある、(4)運動していない――の4つ。加えて、女性や静脈瘤もリスク因子となる。(中略)水分摂取や運動を勧める。弾性ストッキングの着用も有用だ”
日経メディカル緊急特集●東日本大震災 Vol.6「震災に伴う肺塞栓症にどう対処するか?」より引用)

 そこに、薬の副作用という薬剤師の視点を加える。つまり、血栓症のリスクを高める副作用を持つ薬剤を飲んでいないか、ということだ。そういう患者に対しては、車中泊をやめて避難所に移ってもらう。あるいは、その薬を一時的に中止しても問題ない場合は、中止してもらう。

 「女性ホルモン!」 あゆみさんが即座に答える。

 そう。プレマリン(一般名 結合型エストロゲン)などの女性ホルモン製剤、もちろん低用量ピルも。そして骨粗鬆症治療薬のSERM(選択的エストロゲン受容体モジュレーター)も忘れないように。これらの薬剤は、うちの薬局で投薬しているというよりも、他院で処方されて併用薬として飲んでいる可能性の方が高い。だから、併用薬チェックをしっかりやっていこう。利尿薬やSGLT2阻害薬を併用していたとしたら、さらに危険性が高まるだろう。

 次に、食事と水分だ。避難所によって差があるようだが、ケンシロウの言う通り、まだまだ食事や水分が十分に行き渡っていないと考えた方がいい。そして、当薬局には糖尿病の患者さんが多い。ということは、気を付けないといけない問題が山とある。

 まず低血糖。そしてシックデイ。メトホルミンを服用している患者さんが脱水になって乳酸アシドーシスでも引き起こしたら致死率50%に上る。SU薬やインスリンの服用患者には、医師から指示されているシックデイへの対応方法を確認することも忘れずに。さらに、水分が十分に摂れないようならSGLT2阻害薬は控えないといけない(前回参照)。

 「脳梗塞ですね」。ケンシロウの右拳を左手が受け止める。「そういえば、昨日ユウさんがジャディアンス(エンパグリフロジン)を中止にした患者さんも、今日来られるのでは?」

 そうだった。その件なら、朝のうちに院長先生に相談済み。水分摂取が不十分な患者については、この1週間、SGLT2阻害薬を止めておいてくれ、と言われている。薬がなくて来局する患者さんよりもむしろ、まだ手持ちがたくさんある患者の方がかえって心配だ、とも。

 「ということは、SGLT2阻害薬を飲んでいる患者さんには、こっちからアプローチするしかないですね」。あゆみさんは早速レセコンでスーグラ(イプラグリフロジンL-プロリン)の服用患者を検索していく。

 SGLT2阻害薬を服用している患者さんは、まだそんなに多くはなく、全員に電話で注意を促すことは大した作業ではなかった。しかし、連絡が付いた患者さんは半数にも満たなかった。連絡が付かなかった彼らは大丈夫だろうか? どんな用事でもいいから薬局に顔を出してほしい。薬局に電話を掛けてきてくれないだろうか。そう願わずにはいられなかった。