美しい生薬の組み合わせで体質を改善していく。(写真:室川イサオ)

 睡眠時間の最適な長さは人によって違います。また、同じ人でも体調や生活パターンによって変化します。一日に何時間寝なければならないという、決まった理想的な睡眠時間があるわけではありません。5時間睡眠で元気に過ごす人もいれば、8時間は寝ないと朝すっきりと起きられない人もいます。ナポレオンは1日3時間しか寝なかったと語られていますが、一方で、昼間に馬の上でよく居眠りをしていたという話もあります。

 また、睡眠には長さだけでなく質もあります。深い眠りもあれば、浅い眠りもあります。「昨晩はほとんど眠れなかった」と嘆く人でも、意外としっかり寝ている場合もあります。つまり、こうした睡眠の長さや質だけでなく、寝たことに満足しているかどうかも、不眠を規定する要素と言えるでしょう。

 漢方の立場から一日のサイクルを見ると、昼間が「陽」で夜間が「陰」になります。昼間は陽気が盛んになって「意識」が清らかではっきりしており、あまり眠くはなりません。逆に夜間は陰気が盛んになって「意識」が安らかに静まり、眠くなります。

 このように体内での陰陽のバランスが調っていれば、夜が更けると自然に眠くなり、ぐっすりと眠れます。しかし、何らかの理由でこの陰陽バランスが乱れると、夜遅くなっても眠れなくなります。大事なのは「意識」の興奮・鎮静が、昼夜という自然の流れとともにあるかどうかです。

 漢方では、「意識」は五臓の心(しん)がつかさどると考えます。このことを、「心は神志(しんし)をつかさどる」といいます。「意識」が安らかに静まるべき夜間に神志が乱されると、不眠が生じます。精神情緒をつかさどる五臓の肝(かん)の機能が乱れて不眠が発生する場合もあります。

 「行い正しければ眠り安らかなり」という言葉もあります。確かにその通りでしょうが、生活習慣や行動のリズムが正しくても眠れない夜もあります。そういうことが続くようなら、五臓の心や肝の機能を安定させ、「意識」のレベルを自然な状態に近づけるといいでしょう。

 不眠症の証(しょう)には、以下のようなものがあります。

 一つ目は「心火(しんか)」証です。意識をつかさどる五臓の心が過度の刺激を受けて亢進し、熱を帯びて心火となり、不眠が引き起こされている状態です。悶々として目がさえて眠れません。心火を冷ます漢方薬で、不眠を解消します。

 二つ目は「心脾両虚(しんぴりょうきょ)」証です。過労や思い悩み過ぎが原因で心の「血」と脾の「気」が損傷している体質です。神志が不安定になり、不眠が生じます。心血と脾気を補う漢方薬が、不眠体質の改善に効果的です。

 三つ目は「陰虚火旺(いんきょかおう)」証です。生活の不摂生や過労で五臓の腎の陰液が消耗し、そのために熱を抑えきれず心火が生じている体質です。心と腎の相互関係が不調な証なので、「心腎不交(しんじんふこう)」証ともいいます。漢方薬で腎陰を潤しつつ、心火を冷まして不眠を解消します。

 四つ目は「心胆気虚(しんたんききょ)」証です。五臓の心と六腑の胆の気が弱っている状態です。過度の精神的ストレスや恐怖により、この証になります。怖くて眠れないタイプの不眠です。漢方薬で気を補いつつ神志を安定させることで対処します。

 以上の四つが、五臓の心の不調に関連して不眠症となっている代表的な証の例ですが、ほかにも様々な証があります。

 五つ目は「肝火(かんか)」証です。精神情緒をつかさどる五臓の肝の気の流れが鬱滞して熱を帯びて肝火となり、不眠が生じています。いらいらして寝つけません。肝気の流れをよくして肝火を鎮める漢方薬を使います。

 六つ目は「血虚(けっきょ)」証です。血液や栄養を意味する「血」が不足している体質です。血が足りないために神志が乱れ、不眠となっています。血を補う漢方薬で不眠体質を改善します。

 七つ目は「痰熱(たんねつ)」証です。精神的ストレスや暴飲暴食などで生じた痰飲(たんいん)に熱がこもって痰熱となり、これが心の機能を乱すために不眠が生じます。痰飲とは、体内に停滞する異常な水液のことです。痰飲を除去して熱を冷ます漢方薬で不眠を解消します。

■症例1


「最近思い悩むことがあり、急に眠れなくなりました。寝たと思っても、すぐまた目が覚めます」

 職場の人間関係でちょっとしたことがありました。運悪く、同じ時期に恋人との間でもいざこざが生じました。それ以来思い悩んでばかりいます。布団に入っても悶々として、目がさえてしまいます。ようやく眠りに入ったと思っても、職場や恋人とのリアルな夢をみて、またすぐに目覚めてしまいます。動悸や胸苦しい感じがあります。舌は紅色をしています。

 この人の証は「心火」です。心が過度の刺激を受けて高ぶり、熱を帯びています。心火は上半身で暴れ回り、心がつかさどる情志をかき乱し、不眠を引き起こします。思い悩み過ぎる、考え込み過ぎる、悶々として目がさえて眠れない、興奮しやすい、動悸、胸苦しい、舌が紅色、などはこの証の特徴です。

 この証の人に対しては、心火を冷ます漢方薬を使います。代表的な処方は三黄瀉心湯(さんおうしゃしんとう)です。上半身の火熱を緩解する働きがあります。この人は2週間ほどの服用で、落ち着いて眠れるようになりました。

 三黄瀉心湯は作用の強い薬です。胃腸が丈夫でない場合は少量服用するか、黄連解毒湯(おうれんげどくとう)にするのがいいでしょう。また、この心火証の不眠が長引くと、気と陰液を消耗するので、その場合は気陰を補いつつ熱を冷ます清心蓮子飲(せいしんれんしいん)が有効です。陰液とは、人体に必要な水液のことです。

 急性の不眠でほかによくみられる証は「肝火」です。精神情緒をつかさどる五臓の肝の気の流れが、精神的ストレス、緊張、怒り、憂うつ感情などで鬱滞して熱を帯びた状態です。肝火が神志を乱し、不眠が生じます。多くの場合、いらいらして寝つけません。この場合は肝気の流れをよくして肝火を鎮める漢方薬を使います。代表的な処方は竜胆瀉肝湯(りゅうたんしゃかんとう)です。

 ほかにも、精神的ストレスや暴飲暴食などで生じた痰飲に熱がこもって痰熱となり、これが心と胆の機能を乱すために生じる不眠もあります。「痰熱」証です。痰飲とは、前述した通り体内に停滞する異常な水液のことです。胆は六腑の一つで、ものごとの決断をつかさどる働きがあります。神経過敏で、些細なことに神経を使って眠れないタイプです。この証の場合は、漢方薬で痰飲を除去して熱を冷まして痰熱を除去し、不眠を解消します。代表的な処方は温胆湯(うんたんとう)です。