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2009/3/3

先輩患者からのアドバイス どんな状況でもあきらめたらおしまい 粘り強い治療を(下)

 
 中島英子(あやこ)さん  
 
 
 高知がん患者会一喜会 安岡佑梨子さん  
 
 母娘、そして主治医の努力が実り、たちの悪いスキルス性胃がんを克服。その後、娘・中島英子さんは、胃がん手術日を選んで入籍した。また、昨年6月には念願の一児の母になった。母・安岡佑梨子さんは2002年に患者会を設立。現在は、高知県のがん医療を向上させるための活動に情熱を傾ける。

 中島英子さんは、発病前から交際していた昌宏さんと5年経っても再発がなければ結婚しようと決め、苦しい闘病生活を乗り切った。そして、手術から5年後に2人は婚約。そして翌年の2005年9月21日に入籍。2人はあえて英子さんが胃がんの手術を受けた日と同じ日を選んだ。

娘・中島さん一家(左から夫の昌宏さん、息子の大晴ちゃん、英子さん)
娘・中島さん一家(左から夫の昌宏さん、息子の大晴ちゃん、英子さん)

中島 この日は、私の命を助けてもらった日だから、新しい生活のスタートもここから始めたかったのです。主人は、抗がん剤治療の影響で子どもが授からないかもしれないことを承知のうえで結婚してくれましたが、私は絶対に産みたいと思っていました。

 手術の説明のとき、若いドクターが「胃を切除しても、結婚や出産はできます」と言ってくれたことが大きな希望になりました。そして、いつか病気が治ったら、私を支えてくれた主人や母への恩返しに、子どもを抱かせてあげたいという気持ちをずっと持ち続けていたのです。

 結婚して2年目――。松浦先生に妊娠・出産のことを相談すると、「抗がん剤治療の影響は考えにくいから妊娠はかまわない」という返事でした。私には術後の後遺症として腸の癒着もあり、毎年寒くなり始める頃に腸捻転を起こしていたので、お腹が大きくなったときの影響が気になったのですが、それはそのときになってみなければわからないということでした。

 こうして勇気を得た私は、不妊治療にも通いながら、2007年10月に妊娠。7カ月目に早産の傾向がみられましたが、心配していた腸の癒着への影響はなく、翌年6月に無事に出産。3280グラムの大きな男の子でした。

がんになっても元気に出産できることを若い患者に知らせたい
 生まれた子どもが五体満足で元気に動く様子をみて、心の底から安心しました。そして、助けてもらった命が次の世代につながったことに言いようのない深い喜びも感じていました。それは共に闘ってくれた母も同じ心境だったようで「23歳で消えてしまったかもしれない命が引き継がれて、本当によかった」と――。

 実は出産の様子は、テレビや新聞などのメディアにも公開しました。母から私と同じ20代でがんになった人たちが結婚をためらったり、出産を心配したりしているという話を聞いていたからです。20代の闘病中、私も周りの友人が次々と結婚や出産をしていく中で、「がんになったら、普通にできることも我慢しなくちゃいけないのか」と、自分一人だけ置いてきぼりになったような気持ちになりました。でも、そうではない。がんになっても、元気に出産できることを、今、がんと闘っている若い人たちに知らせたかったのです。

 20〜30代では、就職、結婚、出産と、人生の中で多くのイベントが待ち構えています。そこには50〜60代でがんになった人とは異なる悩みがありますが、若い人がなかなか同じ境遇の人に出会えないのが現状です。

 「私と同じがんになった人はいないのか」と、何度も松浦先生に尋ねたけれど、直接会うことは叶いませんでした。それでも、同じ年代で職場復帰した人がいると聞いただけで、見えない光が差し込んできたような気持ちになりました。これからはプライベートをさらけ出しても、もっと若いがん患者が生きることに希望を持てる生活情報を伝えていかなければいけないと思っています。

娘の闘病で養ったノウハウをがん医療の向上に生かす
 一方、母・佑梨子さんは娘・英子さんの病状が落ち着いた2002年12月、がんの部位を問わない「高知がん患者会一喜会」を設立。患者会活動に乗り出した。そして現在は、高知県がん対策推進協議会患者委員のほか、県が開設するがん相談支援センターのセンター長を兼務し、患者さんの相談業務にあたる。

安岡 手術から3年経って、娘の病状が落ち着いたとき、他の患者さんと交流したいと考えるようになったのです。副作用のつらさや再発の不安……。がん患者や家族は、こんな苦しい思いを黙ってじっと抱えているのかと。

 患者会を探したけれど、高知県には乳がんの団体があるだけで、私たち母娘は参加できない。松浦先生に「患者会を作れば? 協力するよ」と言われ、「そうか、ないものは作ればいいんだ」と思って設立したのが一喜会です。

 この会は、がん患者やその家族が常に直面しなければならない身体的な苦痛や精神的な不安、それらを積極的に語り合い、理解し合うことで、一人ひとりの心の悩みを共有し、生きる望みにつなげていくことを目的にしています。

 2006年6月、がん対策基本法が成立し、翌年以降、各都道府県でのがん対策が始まりました。私も高知県のがん対策推進協議会患者委員を務め、条例を制定したり、予算を要求したり、高知県のがん医療の水準を向上させるための活動も行っています。

 行政や県議会を相手にがん医療を動かすことは並大抵のことではないけれど、あきらめたらそこでおしまい。うまく行くためにはどうすればよいのかいつも戦略を考えています。この粘りと方法論は、娘の闘病で養ったノウハウです。娘が元気になった今、がんで苦しい思いをする患者さんや家族が一人でも減ることに、これからは時間を使っていきたい。

 ときどき周りの人から「英ちゃんが元気になったのに、他の患者さんのためにどうして必死に走り回っているの?」と聞かれることがあります。これは、神様との約束なんです。娘が入院しているとき、毎日自宅を1〜2時間早く出て、大学病院までの道すがら、道端のお地蔵さんからお寺や神社まで、あらゆる神様、仏様を回って「どうか娘を助けてください。私ができることは何でもします」と手を合わせてお願いしたのです。だからね、腹をくくって頑張りますよ。

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(まとめ:渡辺 千鶴)

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