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2008/11/25

先輩患者からのアドバイス 妹の“敵討ち”のため膵がん診療の向上支援活動を続けている

 
 パンキャン ジャパン 眞島 喜幸さん  
 
 2006年4月に実妹を膵がんで失った。早期発見が難しく、過去20年に渡って治療成績の向上が見られない膵がん。その研究・診療の向上を支援している米国の団体PanCANの日本支部、パンキャンジャパンを立ち上げ、日本における膵がん診療の向上を支援している。パンキャンジャパンにおける活動は、妹の“敵討ち”でもある。

 妹の最初の症状は微熱でした。また、首の付け根にしこりが見られ、総合病院で診察を受けました。このシコリからがん細胞が見つかったため、最初は「甲状腺がん」と診断されたのです。甲状腺がんは、比較的治りやすいがんと聞いていたので、家族の間では「甲状腺がんで、よかった」と話していたくらいです。

 しかし、細胞の病理検査で、甲状腺がんとは細胞の種類が違うという結果が出ました。原発巣はどこか別のところにあると。そのため、全身のCT検査を受けました。その結果、膵がんが見つかりました。首のしこりは、臓がんが首のリンパ節へ転移していたのです。転移性のステージIVbの膵がんと診断されてしまいました。

 診断を受けた病院では、がんを専門とする病院を受診するか、もしくは、自分のところで緩和ケアを受けるかという選択肢を示されました。

 そこで、がんの専門病院を受診しました。しかし、今になって思うのは、やんわり断られたのでしょう、「直ぐには入れない」というようなことを言われました。膵がんですから、順番待ちをしている猶予はありません。必死になって、最良の治療が受けられる施設を調べました。“がん難民”という言葉も、そのとき初めて知ったのです。

 何も治療をしてもらわないままに、病院探しも何ですから、最初の病院に頼み込んで、抗がん剤治療を少しやってもらいました。しかし、膵がんの抗がん剤治療に慣れない医師でもあり、ちゃんとプロトコール通りの用量の抗がん剤(フル・ドーズ)を投与してくれるかと、心配でなりませんでした(苦笑)。

 その頃には、副作用怖さにフル・ドーズの投与を行わず、形だけの投与の後、効かなかったので、抗がん剤治療は止めましょうというホラー映画みたいな話もあると聞かされていたので、そんなことにならないかと不安でならなかったのです。幸い、ちゃんと規定の用量を投与していただき、本当に感謝しています。

 妹が最初の1クールを受けている間に、安心して治療を受けられる病院探しを家族は必死になって行いました。

 本当にいろいろ調べ、専門の先生のアドバイスも受け、様々な方々の協力も受けて、なんとか、膵がんの診療では定評のある病院で診察を受けられることになりました。最初の病院では、入院しての抗がん剤投与だったのですが、転院先の病院では、通院で抗がん剤治療を受けることになりました。家に帰れたのは良かったのですが、妹の夫(義弟)が毎回、通院のため、妹の送り迎えをしていました。義弟は仕事もありましたから、大変なことだったと思います。近年、外来化学療法が急速に増えていますが、受ける患者にとっては、家族も含めて負担が増えたように感じます。

 抗がん剤治療以外にも、妹は試せる治療法は皆、試してみたいと自分から言い出しました。そのため、後悔しないようにと、ありとあらゆる治療法を試しました。気功や温熱療法も受けましたし、心のケアとして、妹だけでなく家族皆で、サイモントン療法(注)も受けました。実は、妹の息子(私の甥)は、その頃、中学生だったのですが、「お母さんと一緒にいたい」といって、不登校になってしまったんです。甥の心のケア、妹自身の気持ちを安定化させるという意味で、サイモントン療法は良かったのではないかと思っています。

 妹は、診断から19カ月後に亡くなりました。転移性の膵がんでも、1年以上生存することは可能なのです。でも未だに、膵がんの患者・家族に対して、1年以上の余命があり得ると説明する医者はいませんよね。残念ながら。

 診断を受けてから19カ月間の時間があったことで、妹は息子(私の甥)に伝えておきたいことを伝える時間を持つことができたようです。また、甥も妹と一緒にいる時間を比較的長く持つことができました。その点は、よかったと思っています。

 ただ、大切な人を失った悲しみをケアするグリーフケアの重要性をもっと早く知っていたらという後悔があります。義弟は、妹を亡くしてから立ち直るのにとても長い時間を必要としました。辛い記憶が呼び起こされるのでしょう、「病院に行きたくない」と今でもいいます。しっかりしたグリーフケアを行うことができれば、義弟のダメージをもう少し緩和できたかもしれません。

妹を亡くした2カ月後にパンキャンジャパンを立ち上げた
 私自身は、妹が亡くなる直前に、米国のPanCanと出会いました。そして、日本支部としてパンキャンジャパンを、妹を亡くした2カ月後の2006年6月に立ち上げました。パンキャンジャパンの活動は、私にとってのグリーフケアの1つだったのかもしれません。また同時に、妹の“敵討ち”のための活動でもあります。

 日本において膵がんは、各種がんのなかで5番目に死亡数が多いがんです。しかも、未だ確実な治療法が開発されておらず、5年生存率は4%と非常に低いのが現実です。

 この現状は米国でもほぼ同じです。そのため、PanCan本部は、膵がんの有効な治療法を開発してもらうため、研究支援に力を入れています。研究支援に用いるため、PanCan本部は約170億円の研究予算を議会に求めています。また、募金集めをとおして24億の資金を集める計画を掲げているのです。早期診断法の開発、有効な薬剤の開発に焦点を当てて、研究支援をすることを決めています。また、一般市民を対象に、毎年11月を膵がんのアウェアネス月間(啓発強化月間)とし、膵がんに対する理解を深める活動も行っています。

 日本においても、膵がんの色であるパープルにちなみ、11月を膵がんパープルリボン月間として、膵がんに関する一般市民の認識を高める活動強化の期間にしたいと思っています。その第一弾として、今年は、東京で膵がんに関するシンポジウムを行うことができました。今後は、各地域で同様の活動を広げていけたらと思っています。

 また、パンキャンジャパンでは、これまで出来なかった、膵がん患者さんやご家族を支援するため、電話相談も開始しました(パルズ電話相談センター)。加えて、国立がんセンター中央病院肝胆膵内科の奥坂拓志氏らがこれから治療をうける患者と家族を対象として毎週開催している「膵がん教室」をひとつの教育モデルとして、全国に広めたいと思います。また、「膵がん教室」で同病院の患者さん向けに膵がんを説明する際の教材になっている「膵がん手帳」を、今後、他の病院で治療を受けている患者さんも利用できるようにしたいとも考えています。

自分も膵がんの前がん病変を抱えている
 実は、私自身も、膵がんの前がん病変を抱えています。膵管内乳頭粘液性腫瘍(IPMN)と診断されています。妹が診断を受ける前に受けた健診で、膵管の拡張を指摘され、精密検査を受けたことがありました。そのときは、異常が無かったのでそのままとなっていたのですが、妹の診断から心配になって、再度、精密検査を受けたのです。その結果、今度は膵臓に嚢胞があり、IPMNと診断を受けたのです。

 IPMNは、がん細胞を必ず含む病態だと言う医師もいて早く切除した方がいいというアドバイスもいただいています。ただ、今のところ症状もなく、大きさも一定なことから、6カ月に一度の精密検査で経過観察中です。ただ、膵臓は、胃の奥にあって、検査が難しい場所にありますので、がんが見逃されることが怖いですね。そのため、いつも同じ種類の検査法ではなく、異なる種類の検査法を組み合わせて精密検査を受けています。

 膵がんの危険因子の1つに家族歴があります。また、糖尿病、肥満、膵炎の既往がある方は、膵がんのハイリスク群です。また、喫煙も膵がんリスクを高めることが知られています。リスク因子をお持ちの方は、膵がんを念頭に置いた検診を受けられることをお勧めしたいです。早期に発見できれば、膵がんサバイバーになることもできるのですから。

(まとめ 小板橋 律子)

※注 サイモント療法とは、米国の心理社会腫瘍学カール・サイモントン博士 (DR. O. CARL SIMONTON)が開発した、がん患者さんとそのサポーター(家族等)のためのヒーリングプログラム

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