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2008/9/30

先輩患者からのアドバイス 「食道がんでも元気になって生きている人がいる」 この希望が治療の出発点に

 
 田口 隆さん  
 
 2004年秋、食道がんと診断される。手術の難易度やリスクが高いことを知り、途方に暮れるが、インターネットで知り合った食道がん患者のアドバイスを受け、放射線化学療法を選択した。治療中は吐き気や口内炎、食道炎などの副作用に苦しめられるものの克服し、現在は経過観察中。他の患者さんの役に立ちたいと、患者会で闘病体験を発表したり、今年6月から国立がんセンターがん対策情報センターの患者・市民パネルとしても活動している。

 私が食道の異常に気づいたのは、2004年の春頃のことです。急いで掻き込んだ昼食のソバが胸につかえることが何度かあり「おやっ」と思いましたが、それ以外に変わったことはなかったので、そのまま見過ごしていました。

 ところが秋になると、頬張って食べた物がつかえるようになり、さすがに「おかしい」と思ってインターネットで自分の症状を調べてみると、食道がんか食道憩室が疑われました。しかし、内視鏡検査が苦しいのが嫌で、検査受診を一日延ばしにしてしまったのです。

 ようやく重い腰を上げて、近くの胃腸科を受診したのは秋も深まった11月。内視鏡検査と生検の結果、やはり食道にがんがあると診断されました。予期していたものの、それが現実となるとショックで、「これからの人生をどうしようか」と、やや混乱しながら家路につきました。

 けれど、そのときは「がんなら切れば治る」と安易に考えていたのです。

 帰宅途中の本屋で10冊ほど買い込んだ本やインターネットの様々なサイトで、食道がんに関する情報を調べるうちに、事の重大さにだんだん気づき、愕然としました。食道がんの手術は大変難しいもので、手術による死亡リスクも高く、しかも術後はなかなか元の生活に戻れないことを知ったからです。

 そして、「この歳(69歳)になって大ケガと同じくらいダメージを受ける手術は受けたくない」という気持ちになりました。

 「自分の人生はこれまでか」と暗澹たる思いでいたときに、偶然見つけたのが『ガン病棟からの脱出』(現在は閉鎖)という食道がん患者さんのサイトでした。サイト主宰者であるOさんも食道がんで、手術ではなく放射線化学療法による治療を受けてがんが消えた方でした。手術以外の治療法がある――。私は一筋の光明を見出した思いで、Oさんに早速メールしました。すると、まもなくOさん本人から電話がかかってきて、いろいろな話を聞くうちに「私の食道がんもこの方法で治せるんだ」という強い信念にも似た気持ちを持てるようになったのです。

吐き気、口内炎、食道炎――副作用に苦しめられる日々に耐えて
 治療は、食道がんの放射線化学療法で実績を上げている国立がんセンター東病院で受けました。再検査の結果、私の食道がんはステージII〜IIIと診断され、その際に医師から食道がんの標準治療は手術であることや、放射線化学療法によるがんの消失率は60%程度であることなどが告げられました。しかし、私の考えは変わらず、治癒を信じて放射線化学療法をお願いしました。

 新しい治療法だったとしても、自分が納得できる方法を選びたかったのです。命を預けるような重大な病気の場合は、見舞いに便利な病院だとか、たまたま診てもらった医師や病院にすべてをお任せしますと安易に決めるのではなく、自分が納得できるまで治療法をよく調べ、医師や病院を選択しなければならないと痛感し、それを実行した私に後悔はありませんでした。

 とはいえ、抗がん剤治療のたびに入退院を繰り返し、延べ4カ月にも及んだ闘病生活は決して楽なものではなかったのです。私の治療は、1週目と5週目に抗がん剤治療(シスプラチン+5−FU)を行う6週間治療法を基本とし、これと並行して28回の放射線照射(1.8グレイ×28回=50.4グレイ)を行う方法が選択されました。さらに、精密検査でステージIIIであることがわかったので、9週目と13週目にも入院して抗がん剤治療を追加することになりました。このとき、担当医には「追加治療を行ってもがんが消えなければ、手術を考える必要がある」といわれていました。

 第1回目の抗がん剤治療が始まると、まもなく副作用が現れました。私の場合は吐き気がひどく、ほとんど食事を受け付けられない状態になり、そのうえ高熱も続きました。吐き気止めの薬もあまり効果がみられず、しまいには配膳車の音を聞くだけで吐き気を催すほどでした。

 抗がん剤治療を終えると、吐き気は治まりましたが、今度は口内炎に悩まされ、抗がん剤と放射線のダブルパンチで食道炎の痛みにも襲われました。固い物はもちろん、刺激がある物や塩気・酸味のある物も胸にしみて、何も食べられなくなり、モルヒネ製剤の痛み止めと点滴による栄養補給で命をつないでいるような状況でした。最終的に体重は入院時に比べ、5キロも減っていました。

心の大きな支えになったのは先輩患者の励ましや助言
 治療に専念するためと「絶対に治って帰るのだ」という信念から、見舞いは一切断り、仕事を持っていた妻の来院も片道3時間かかるため週末だけと決めていた私は、つらい入院生活の多くの時間を一人で過ごしました。この期間中、家族の他に心の大きな支えになったのは、先輩患者のOさんとIさんからの励ましや助言でした。Iさんは、Oさんから紹介された食道がんの患者さんで、私と同じ神奈川県に住み、私と同じ病院で同じ治療を受けた方でした。

 病院には妻や知人との連絡用、インターネットでの情報収集用として携帯電話とPHS用のデータ通信用カードをセットしたモバイルパソコンを持ち込んでいたので、いつでもOさんやIさんにSOSを発信することができたのです。

 「副作用がつらい」と訴えれば、OさんやIさんからは「同じようにがん細胞も苦しんでいると思えば、我慢もできるし、気が晴れますよ」という励ましのメールがすぐに返ってきました。また、放射線治療の効果がそれほど得られず、担当医から手術を示唆されて落ち込んでいると、「自分のときもそうだったけど、放射線が効いてくるのにはタイムラグがある。もう少し様子をみたら?」と経験を踏まえたアドバイスをもらったりもしました。自分一人で闘っているのではないと孤独感も癒され、本当にありがたかった。

 治療中、Oさんのサイト内に掲載されていたIさんが書いた闘病記もとても参考になりました。次にどのような治療が行われ、どんな副作用が起こるのかなど、治療の見通しに関する多くの具体的な情報を闘病記から得ることができて、事前の心構えができました。

 闘病記には、事前に吐き気止め薬を服用すると、吐き気が軽減したことも書かれていました。担当医の了解を得て、2回目の抗がん剤治療から試してみたところ、投与する抗がん剤の量を半分に減らしてもらったこともあるのでしょうが、あれほど苦しめられた吐き気は起こらず、食欲も損なわれずに済んだのです。これに気を良くした私は、自分でも副作用対策を工夫するようになりました。口内炎の事前対策として、うがい薬で口をよく漱ぐことで口内炎もくい止めることができました。

「体は病んでも心は病ますまい」と入院中も楽しみを見つける
 治療中は、さまざまな副作用に苦しめられ、そのうえ高熱が出たり、途中で治療が中断したり、効果も思うように現れなかったりと、精神的につらいことも多々ありました。しかし、「体は病んでも心は病ますまい」という先人の言葉に共感し、自分なりに楽しみを見出すように努めました。

 例えば、たわいもないことかもしれませんが、抗がん剤治療で入院している間は、寝ても覚めても点滴薬のスタンドにつながれ、レントゲン室をはじめ、どこへ行くにも、点滴スタンドを私のお供として連れて歩かなくてはならず、拘束されていることがとても苦痛でした。そこで、私は点滴スタンドを犬になぞらえて「ポチ」と呼ぶことで、その状況を楽しむようにしました。

 また、抗がん剤治療で再入院するときや検査等で通院するときは、自宅から病院までの道のりが遠いため、朝4時に起きなければなりませんでした。早起きが大変なので、自宅から電車の乗り換えなしで行ける品川に前泊することにしました。品川はホテルの多い街で、この際、妻と2人でホテル巡りを楽しもうと考えたのです。

 内視鏡検査を受けるために通院した日は、偶然にも私の古希の誕生日と重なり、前泊した品川のホテルのレストランで前祝いをしました。食道がんになっていなければ、何ということなしにこの日を迎えたのでしょうが、献身的に治療にあたってくださった医師や看護師さん、絶えず励まし続けてくれた妻や先輩患者さん、大勢の人に支えられて古希を迎えることができたわけで、その感慨はひとしおでした。

生かされた命なのだから残りの人生“ときめいて”暮らしたい
 食道がんが消えて3年目になり、今年4月の定期検診も無事に終わりました。今は食事や日常生活も発病前と同じような状態に戻れ、食道がんにかかったのが夢だったような気さえしています。「体に良いだろう」と、ボウリングも始め、週2回5ゲームほど投げて楽しめるまでに体力も回復しました。その半面、経過観察のための検査の際には、どうしても再発の不安がつきまといます。この期間を「検査の前と後で、緊張と安堵の繰り返しが続く」と表現する患者さんもいますが、まったく同感です。再発防止に向けた的確な治療法がないのは、患者にとっては心もとないかぎりです。

田口 隆さん
田口 隆さん

 がんは他の病気とは違い、すっかり縁が切れることはないようですが、せっかく生かされた命なのですから、精一杯楽しんで暮していこうと決めています。


  過ぎ去りし 日々より短き これからの
      時間もときめき 生きてゆきたし


 今の心境を長年親しんできた短歌に託すと、こんな感じでしょうか。入院中も折々の思いを短歌に詠みましたが、それもつらさを忘れるのに役立ちました。

 私の父は58歳のときに肺がんで亡くなりました。それは48年前のことで、当時がんの宣告は死を意味するものであり、ずいぶん悲しい思いをしました。しかし、私の場合はインターネットで治癒した人を知り、がんは治るのだという気持ちが持てたことが救いになりました。さらに闘病中は、食道がんを克服した先輩患者さんからいただいた励ましや助言が大きな力を与えてくれました。

 そこで今、私も同じように他の患者さんの役に立ちたいと考え、患者会で自分の体験を話したり、闘病記を発表したりしています。今年は、国立がんセンターがん対策情報センターの患者・市民パネルに応募し、2年間の任期でがん患者さんのサポート事業にもかかわるようになりました。

 「食道がんになっても、元気になって生きている人がいる」――。

 この希望が私の残された人生の出発点になったように、自分の存在が食道がんの患者さんの励みになればと願っています。

(まとめ:渡辺 千鶴)

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