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2008/6/24

先輩患者からのアドバイス 卵巣がんになったとしても、何かができなくなる訳じゃない

 
 元がん患者のテコンドー家、稲守朋子さん  
 
 2004年、23歳の若さで卵巣がんと診断される。侵潤が進んでいたので、術後化学療法を選択。8カ月間の闘病生活では精神的にもかなり追い込まれたが、現在は、大学院で遺伝学の研究を続けながら、卵巣がんの患者さんたちに元気を与えたいと「元がん患者のテコンドー家」としても活躍中である。

 その日は昼過ぎから夕方にかけて、どんどんお腹が痛くなってきて、脂汗で視界がにじむほどのひどい状態になり、近くの総合病院に担ぎ込まれました。卵巣が3キロの大きさまで腫れ上がり、破裂すれば命にかかわるということで即入院。緊急手術を受けました。

 1カ月ほど前からお腹に張りがあり、時々痛みも感じていました。でも、当時は23歳。この若さで何か重大な病気にかかるなんて思ってもみませんでした。前兆はあったけれど「調子が悪い時もある」と放っておいたのです。

 病理診断の結果、卵巣がんが判明。病期はIc期〜IIa期で、完全な転移は認められないものの、周囲の組織への侵潤が進んでいるということでした。また、もともと巨大卵巣腫瘍があり、その一部が悪性化したとの診断でした。病理の結果を待つ間、担当医から何度も「家族は呼べるか」と聞かれていたので、告知を受ける前から嫌な予感があり、卵巣がんとわかった時も、それほど強いショックは感じませんでした。むしろ自分の置かれた状況を把握して最善の選択をすることに頭が一杯で、担当医にズケズケと質問したことを覚えています。

 担当医から提案された方法は2つ。このまま何もしないで様子を見るか、積極的にがん細胞を殺すために抗がん剤を使うか――。メリット・デメリットを確認したうえで、抗がん剤治療を選びました。私の生き方として、何もしないまま再発に怯えて暮らすのは性に合わなかったのです。

気持ちがどん底まで落ちた時は元気な頃の自分を思い出す

昨年のワールドカップにおける日本代表決定戦の試合風景(稲守氏提供)
昨年のワールドカップにおける日本代表決定戦の試合風景(稲守氏提供)

 こうして実家のある名古屋に戻り、入退院を繰り返しながら、抗がん剤治療を始めました。脱毛をはじめ口渇、悪心、倦怠感など、副作用といわれる症状はひと通り経験しましたが、それよりもつらかったのは行動に制限をかけられたことです。さらに入院していると、同室の患者さんが急変してICU(集中治療室)に運ばれることもあれば、隣の病室で人が亡くなることもある。

 「次は自分の番かもしれない」という恐怖が常につきまといました。

 それから、がんになれば誰もが一度は考えることですが、「どうして私が?」という思いも頭の中からずっと離れなかった。考えても答えは出ないし、堂々めぐりになることはわかっていたけれど、それでも考えてしまうのです。

 心身ともに疲れ果てたけど、つらい顔はできなかった。若い患者である私が弱音を吐くと、同室の患者さんの雰囲気が暗くなる。「体力のある若い子でもこんなに苦しいのなら、年をとった自分たちは到底乗り越えられないかもしれない」と。昼間に泣けないから、夜中に声を殺して何度も独りで泣きました。

 このままでは、つぶれてダメになる――。どん底まで落ちた時、「元気な頃の自分はどうだったか」ということが、ふと頭をよぎりました。そして、考えるよりも先に行動するタイプの体育会系の性格だったことを思い出し、「こんなの違うよ。素の私はもっと明るかった」という気持ちになれた。それを境に少しずつ浮上できたように思います。

 そして、「どうして私が」と考えるのも、自分が世界で一番不幸な人間のように思えてくるので止めました。なるべく視点を変える努力をして「なってしまったものは仕方がない」と開き直ったら、気持ちもだんだん楽になってきました。

家族や友人に普通に接してもらうことが“心の栄養”になる

 また、私の場合、つらい時期に心の支えになってくれたのは、家族や友人でした。担当医とも良い関係を築けていましたが、多くの患者さんを診療しなければならないため、不安な気持ちをゆっくり聞いてもらえる時間はありません。家族や友人がいつも傍にいてくれたことは本当に有難かったですね。

 私の最終目標は、がんを治すことではなく、治したうえで元の生活に戻ることでした。なので、家族との他愛もない会話や、友人の何気ない電話やメール、贈り物など日常を感じさせてくれるものに、どれほど励まされたことか。

 「何かしてあげたいけれど、何をしていいのかよくわからない」という家族の悩みを耳にすることがあります。でも、特別なことは何も必要ないのです。家族や友人には日常生活の延長線上で普通に接してもらいたい。そのように接してもらえることによって初めて患者は「早く家に帰りたい」と心底思えるのです。そして、それが一番の“心の栄養”になると感じています。

元気になっても時々自分のがんと向き合っておくことが必要

 幸いにも抗がん剤の効果がみられ、8カ月にわたる治療に終止符を打つことができました。退院して2週間後には大学院のある静岡に戻って一人暮らしを再開し、さらにその2週間後には趣味のテコンドーの試合に出場するまでに、めきめきと回復していました。

 「もう、がん患者じゃない――」。元気になるとそんな気持ちにもなりました。

 もちろん再発の不安はありましたが、がんになった過去を捨て去ってしまいたかったのです。それは思い出したくもないつらい経験でしたから。けれど、大学院で遺伝学を専攻していたこともあって、さまざまな医学論文を読んでいるうちに「今、封印するのはちょっと違うぞ」という結論に至りました。

 万が一、再発したときに何の知識も情報もないのは困るし、時々、自分のがんと向き合っておく必要性を感じたのです。それで、静岡県内で活動していた患者会の集まりに参加するようになりました。ここでは、患者が知っておきたい情報を得られるし、家族や友人には話せない本音も言い合えます。

体験した人の言葉でなければ患者の心に響かないこともある

昨年のワールドカップ後、日本代表女子メンバーとの記念写真(稲守氏提供)
昨年のワールドカップ後、日本代表女子メンバーとの記念写真(稲守氏提供)

 私はがんの治療後も、テコンドー選手として活動を続けています。昨年のワールドカップでは女子団体戦に出場して金メダルを獲得し、メディアから「元がん患者のテコンドー家」と呼ばれるようになりました。

 でも、そういうふうに取り上げられるのもいいかなって。これで同じ卵巣がんの患者さんを元気づけられるとしたら本望です。私のがん体験を、他の患者さんの闘病に役立ててほしいというか、「がんになったから、何かができなくなるわけじゃない」というメッセージを伝えたいのです。

 また、抗がん剤治療の最中に、先輩患者さんから「大丈夫だよ」という声をかけてほしかったという思いも残っているので、これからは患者会の活動を通して、ピアカウンセリングのようなこともやってみたいと考えています。医師や看護師、そして家族の手厚いサポートがあったとしても、体験した人の言葉でなければ、患者の心に響かないこともあるのではないかと思うからです。

(まとめ:渡辺 千鶴)

【訂正】6月25日に以下の訂正を行いました。

稲守明子さんは正しくは稲守朋子さんでした。訂正の上、お詫び申し上げます。

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