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2018/2/7

国立がん研究センター・希少がんセミナーより

就職、妊孕性温存など課題も多いAYA世代の希少がん

福島安紀=医療ライター

 受験、就職、結婚、妊娠・出産など様々なライフイベントに直面するAYA(Adolescent and Young Adult)世代(おおむね15〜39歳)へのがん対策の遅れが課題になっている。昨年12月8日、国立がん研究センター希少がんセンターで開催されたAYA世代の希少がんをテーマにしたセミナーでは、小児・AYA世代でがんの治療を受けた4人のサバイバーが体験を語った。後半のQ&Aセッションには、国立がん研究センター希少がんセンター長の川井章氏、国立成育医療研究センター小児がんセンター長の松本公一氏なども加わり、参加者からの質問に回答した。


小児がん体験者の宮城順氏

治療の後遺症によりフルタイムで働けずつらい思いをする人も
 NPO法人血液情報広場・つばさ理事の宮城順氏は、7歳の時に慢性骨髄性白血病(CML)と診断された小児がん経験者だ。CMLに対する治療は現在、イマチニブなどのBcr-Abl阻害薬が主流だが、当時はまだ開発されていなかったため、9歳の時に大量化学療法と骨髄移植を受けた。

 「治療から30年近く経ちますが、今も後遺症があります。成長障害のため、高校を卒業する頃には周りから一人だけ取り残されたような気持ちでした。体力がなく、大学卒業後はフルタイムで働き続けることができなかったばかりか、集中力がなく、もの忘れがひどいために社会生活に適応できず、メンタル面でも不調を抱えるようになりました。特に不摂生をしているわけでもないのに、肝機能障害、脂質異常、高血糖にもなってきています。後遺症については詳しく知らされていませんでしたが、ある時、インターネットで調べて自分は子どもを授かることができないと知り、大きなショックを受けました。就職もうまくいかず、病気は治ったのに生きることに希望が持てず、本当につらかったです」。

 後遺症に苦しむ宮城氏を救ったのは、患者会で出会った同じ小児がん体験者の存在だった。誰にも分かってもらえないと思っていた病気や後遺症のつらさを理解してくれる仲間の存在に気持ちが安らぎ、自分の体験を社会に還元するため、小学校などでがん体験を話す活動も行えるようになったという。

20代で胃がんを体験した高橋和奈氏

患者会で知り合った仲間との出会いが救いに
 樋口宗孝がん研究基金体験者スタッフの高橋和奈氏は、23歳で胃がんと診断され手術と再発予防の抗がん剤治療を受けた。「若くしてがんになるなんて信じられなかったですし、孤独と不安でこれからどうなってしまうのだろう、もしかして死んじゃうのかなという恐怖しかありませんでした。でも、がんになった翌年に若年性がん患者団体「STAND UP!!」に出会い、体験談が掲載されたフリーペーパーを読んで、がんになっても夢や目標を持っていいのだと教えられました。STAND UP!!で出会った仲間と数年前にがんサバイバー音楽ユニットを結成し、今度は自分が勇気や希望を与えられる存在になりたいと活動を続けています」。

 高橋氏は、大学時代にがんを経験したので就職活動ができなかった。胃を3分の2切除したことによるダンピング症候群、頻脈、低血糖の後遺症もあるそうだ。「がんを経験したことで失うこと、あきらめることも多かったのですが、得たものの方が大きいと今は思えます。結婚して約4年が経ち、周囲からはそろそろ子どもを産まないのかとプレッシャーをかけられていますが、胃を切除しているので体力に自信がなく不安です」と話した。

20代で肉腫を体験した鳥井大吾氏

 希少がんセミナーを共催する「オンコロ」スタッフの鳥井大吾氏は、社会人2年目の25歳の時に肉腫の一種である「粘液型脂肪肉腫」と診断され手術を受けた。肉腫と診断される2年半くらい前から、歩く時に左足のふくらはぎが張る自覚症状があったが、大学病院などを受診しても原因が分からなかった。

 「2年くらい経って別のクリニックでエコー検査を受け、初めて左足のふくらはぎに腫瘍があると分かり、がん専門病院を紹介されました。当時、がんは高齢者の病気と思い込んでいましたし、痛みも体調不良もないので、自分が命に関わる病気になっているとは夢にも思いませんでした。家に帰ってインターネットで調べてみて、初めて死に至る恐れもある病気だと知り、2年間放置していたこともあり、急に怖くなりました」と語る。

 当時は別の会社の営業職だったが、休職して手術を受けた。手術の1週間後には10メートルしか歩けなかったという。必死のリハビリの末、元通り歩けるようになり、徐々に仕事にも復帰した。

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