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レポート

2011/6/7

あのとき、がん医療の在宅現場で何が起こっていたか ― 3.11を振り返る

医療法人社団爽秋会(宮城県名取市)理事長 岡部健氏に聞く

渡辺千鶴=医療ライター

 「宮城県沖地震を想定した災害マニュアルを作成していたが、今回の震災ではほとんど役に立たなかった」と、宮城県・福島県で在宅医療を展開する医療法人社団爽秋会理事長の岡部健氏は振り返る。東日本大震災の直後、がん医療の在宅現場では何が起こったのか。そして今、どのような支援が最も求められているのか。被災した宮城県仙台市・名取市の状況を、岡部氏に聞いた。



「被災直後は時間の感覚が失われ、記憶があいまいなところもある」と、生々しい体験を語る岡部健氏。一方で、緩和ケア関係のメーリングリストを通じて、全国に仙台市のがん医療の状況を発信し続けた。

 大津波による甚大な被害を受けた宮城県名取市にある岡部医院は、20年前から末期がん患者を中心に在宅緩和ケアを行ってきた。これまでに自宅で看取った患者は2000人を数える。現在は法人化(医療法人社団爽秋会)され、仙台市に2カ所、福島市に1カ所の診療所を有するほか、複数の訪問看護ステーションも運営する。

 3月11日14時46分――。東日本大震災が発生したそのとき、理事長の岡部健氏は所用のため仙台市北西部の電気店内にいた。とてつもなく長い揺れが収まると、岡部氏は直ちに各診療所に連絡を取ろうとしたが、携帯電話は既に不通状態。そこで、被災した場所から最も近かった自宅に戻り、パソコンを立ち上げると法人の全職員に対して一斉メールを配信した。「自分の身の安全をまず確保し、それから医療活動に従事しろ」と――。地震や津波に関する情報は何も得られていなかったが、これまでに自分たちが想定していた災害の規模を大きく上回ると、岡部氏は判断したからだ。

安否確認に走り回る医療者に大津波警報は届いていなかった
 このメールを配信したのは16時すぎのことだったが、そのときには仙台港近くにある診療所は大津波の被害を受け、名取市にある岡部医院も600メートル手前まで津波が迫っていた。そして、「このメールを最後にすべての通信手段が断たれてしまい、翌日までスタッフの誰とも接触ができなくなってしまった」(岡部氏)という。

 地震発生時、医師や看護師を含め、スタッフの多くは診療所や訪問看護ステーションにいた。余震は続いていたが、在宅患者たちは大丈夫なのか、確認しなければならない。最も心配されるのは、人工呼吸器や酸素吸入器などの電源を必要とする医療機器を装着した重症患者。救急車を呼んで、病院に運ぶなどの対応が必要だ。しかし、通信手段が断たれて指揮系統が崩壊、電子カルテも見ることができない。そこで医師や看護師は、各自の判断で、状態が心配な患者の家を回り始めたそうだ。

 「あのとき、大津波警報が発令されたという情報は、被災地の私たちには届いていなかった」――名取市で岡部医院と連携しながら在宅緩和ケアに従事する、うえまつ調剤薬局薬剤師の轡基治氏はこう証言する。実際、岡部医院の看護師の1人は、亘理町荒浜に住んでいた患者の安否確認に出掛け、津波に巻き込まれて亡くなった。

 「患者は気になるけれど、通信手段は断たれている。車のガソリン不足で思うように動けない。自分の家も被災している。まさに三重苦に見舞われて、スタッフはパニック状態だった。翌12日になっても現場は混乱していた」と岡部氏は振り返る。

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