こんにちは、Cadetto.jp管理人の増谷です。みなさん、漫画『宇宙兄弟』(講談社)はご存じでしょうか。主人公の南波六太と弟の日々人が少年時代に宇宙飛行士を目指すところから物語が始まり、宇宙飛行士になった後もその活躍を描き続けている、小山宙哉氏の作品です。2017年5月、この漫画から筋萎縮性側索硬化症ALS)治療法の研究開発費を集める「せりか基金」が誕生。同年12月15日には、8月末までに集まった寄付金から、2研究に奨励金として合わせて500万円、ALS協会に寄付金として100万円、合計650万円が交付される授賞式が開催されました。

宇宙飛行士の漫画がALSの研究支援につながったワケ

基金名の由来となった「宇宙兄弟」の登場人物、伊東せりか((c)小山宙哉/講談社)

 「せりか基金」という名称は、同作のヒロイン的存在である「伊東せりか 」にちなんでいます。医師であるせりかは、同じく医師であった父親をALSで亡くした経験から、無重力空間の国際宇宙ステーション(ISS)で実験を行ってALSの治療薬を開発すべく、宇宙飛行士を目指します。そしてついに(作中の)2029年、せりかはALSの治療薬開発に大きく近く宇宙空間での実験に成功します。

 宇宙兄弟の連載当初から小山氏の担当編集者として一緒に歩んできた佐渡島庸平氏は、作者の小山氏がこのシーンを描くに当たり、「漫画の中で勝手に幸せな未来を描いていいのか。2029年になっても治療薬が開発されていなかったら、患者さんはどう思うのだろうとかなり悩んでいた」と振り返ります。佐渡島氏自身も、連載当初からALS患者の取材を続ける中で、患者たちから何度も「ALS治療への支援に力を貸してほしい」と要請を受けていました。

(左から)コルク社長の佐渡島庸平氏、国立遺伝学研究所助教授の浅川和秀氏、東京大学大学院薬学系研究科細胞情報学教室の藤澤貴央氏、コルク社の黒川久里子氏、京都大学iPS細胞研究所教授の井上治久氏。

 こうした思いから生まれたのが、今回の「せりか基金」でした。佐渡島氏は現在、クリエーターをサポートするコルク社を立ち上げています。「会社立ち上げ当初、いろんな先輩経営者から『思い描いたことを実現して未来を作れ』とアドバイスされた。今は、作家が思い描いた未来の実現を助ける仕事をしたいと思っている」と語る佐渡島氏。今回の「せりか基金」もコルク社の黒川久里子氏らが中心となって企画しました。

 始まった「せりか基金」には2000人以上が寄付を申し込み、寄付総額は1000万円を超えました。ALSの原因究明に関する研究またはALSの治療法に関する研究を公募した「せりか基金賞」では、5人の審査員(審査員長は京都大学iPS細胞研究所教授の井上治久氏)による選考の結果、東京大学大学院薬学系研究科細胞情報学教室の藤澤貴央氏と国立遺伝学研究所助教授の浅川和秀氏が選ばれ、奨励金が交付されました。

不要になった遺伝子の分解メカニズムを解明しALS治療につなげる
 藤澤氏が提案したのは、ALSの原因究明に関する研究です。ALSには、患者でのみ変異が認められている遺伝子や、異常な蓄積が認められる蛋白質が存在します。藤澤氏は、ALS患者で変異が認められる遺伝子の1つで、日本人の遺伝性ALSにおいて最も多い発症要因であることが報告されているSOD1遺伝子に着目。藤澤氏らの研究により、SOD1蛋白質は環境ストレスに対応すべく構造変化を起こしていることが分かりました。

 構造変化して環境ストレスに対応した後不要になったSOD1は速やかに分解される必要がありますが、その機構が解明されていません。藤澤氏は分解される機構に異常が起きてALSが発症している可能性があると考え、機構を解明して新たな治療薬の手がかりをつかみたいと考えています。さらに、構造変化したSOD1を分解する機構がSOD1以外のALS関連遺伝子に関与していれば、遺伝性ALS以外のALS治療にも適用できる可能性があると藤澤氏は考えています。審査員長の井上氏は、「遺伝性ALSだけでなく、遺伝性が明らかではない多くのALSの背景病態をつなげる研究であり、ALSの原因究明に向けた大きな一歩になると考えられる」とコメントしました。

せりかはISSに搭乗し、TDP-43蛋白質の結晶化を成功させた((c)小山宙哉/講談社)

 また藤澤氏らは以前、SOD1遺伝子変異によってALSが発症する理由を探るため、SOD1蛋白質の立体構造から考察を行いました。『宇宙兄弟』の作中でも、せりかがRNA結合蛋白質であるTDP-43蛋白質の立体構造を明らかにするためISSに搭乗し、結晶化に成功した描写があります。藤澤氏は、作中の研究の進め方などの描写が正確で感動したそう。受賞と300万円の奨励金などを受け取ることに対し、藤澤氏は「金額も大きいので、しっかり研究を進めないといけないと思った。日本には寄付金文化が定着していないが、民間の基金からこのように自由度の高い奨励金をいただけることは大変ありがたいこと」と語りました。