南阿蘇の避難所で行政担当者から情報を得る。

 最終日のこの日の昼、僕は初めてセンターの外に出て、被災地の現状を肌で感じた。車窓から見える倒壊した家屋や土砂崩れに、僕たちは言葉を失っていた。
 長崎大2班はICNの寺坂とともに、南阿蘇の避難所のアセスメントに向かった。避難所では、行政の担当者や保健師さんから情報を得て、部屋を見たり、隔離部屋へ行ったり、トイレをチェックしたり、水道の状態を調べたりした。ボランティアの中学生たちにはカステラを差し入れられた。チームのみんなは思った。「やっぱり現場がいい」と。

「現場でなく、事務局にばかりこもって煮詰まらないですか?」
 ADROリーダーの伊藤に聞いてみた。
「現場がうまく回るために、システムを構築することがより重要ですからね」
 なるほど。
 伊藤が統括DMAT研修を受けたのは、2013年。DMATロジスティック研修も2回受講し、今回リーダーに抜擢された。情報がない中で、ニーズと支援をうまくつなぐことの難しさを感じたそうだ。様々なニーズの中で、「保健師さんたちを支える活動をしたい」と強く思い、「どうしたらできる?」と常に自身に問い続けていたという。僕はさらに伊藤に聞いてみた。
「リーダーに必要な資質とは何でしょうか?」
 自分がリーダーに向いているかどうかはわからないと前置きして、彼は3つを挙げた。大事なことは、即決断すること、想像して先読みすること、ふさわしい人を見つけて仕事を任せること。
「そういった意味で、先生に急にICTリーダーとなって頂き、感謝しております」

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阿蘇神社の楼門は倒壊していた。

 僕はふさわしくなかった。ただ騒いで、ことを大きくして、人を連れてきただけだ。物語としては、ただそれだけ。主人公の『僕』には、何の成長もなかった。
 坂を上りながらそう思った。
 長崎に帰った翌日、いつものように、真新しい白衣の学生を引き連れて坂を歩いている。眼下には長崎の港。毎週の在宅医療実習だ。
 92歳のKさん宅。70年前にここで被爆したが生き抜いてきた。最近少し足が衰えたが、頭はしっかりしている。医学生が問診して、診察する。一人暮らしの小さな部屋では、十字架の下に熱帯魚が泳いでいる。
「よか(良い)お医者さんにならんばよ〜」
 Kさんはいつも最後にこう言って、学生を送り出してくれる。

 10年以上前に教えた森も、田代も、石本も、「よかお医者さん」に成長していた。全国から震災に駆け付けた医療者も事務方も、それだけの実力と自信と勇気を備える素晴らしいプロフェショナルだった。そして、きっちりと統制されていた印象を受けた。これから、僕が教える医学生や研修医や新人看護師たちが、真っ先に困った人を助けに走ってゆく人になればと思う。いや、真っ先でなくてもいいか。支援はしばらくの間、必要なのだから。
 まだ、余震が続いている。
 読者の皆様とともに、この震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、被災された皆様の健康と熊本・大分の復興を願いつつ、息の長い支援を誓いながら、この物語を終えたい。最後になりましたが、実名登場の関係者の皆様に心より感謝申し上げます。

あとがき
 そういえば、この物語の中で、僕もいくつか成長していた。
 ひとつは、LINEができるようになったこと(笑)。森君の真似をして地図を読み、出来君を真似して携帯メールを高速で打ち込む「フリック」、水田君を真似して「気の利いたギャグ」を練習している。とにかく、第2班の若いメンバーから刺激をたくさんもらった。一番驚いたのは、最年少の久志さんの家族で、五島列島で生まれ育った彼女は、男男男男男女女女女の9人兄妹の末っ子だという。
 彼女の話を聞きながら、思った。
 人は互いに助け合い、支え合い……。それでしか、生きていけない。ひとりでは、何もできない。阿蘇で、改めてそれが分かった。帰りのフェリーの待ち時間に、ぽつりと彼女が言った言葉が忘れられない。
「やっぱり、日本人って、すごいですよね」
 僕もそう思う。One for all, all for one. 必ず、今回も立ち上がれる。そう信じている。

2016年5月3日 崎長ライト


※「崎長ライト、熊本へ」以前の回はこちらから
(その1)帰還したDMAT第1陣、「歓迎」に心震えた
(その2)指令、ノロキットを受け取り阿蘇へ
(その3)阿蘇地域のICTリーダーに
(その4)思わず口に出た“やばい”提案