阿蘇全地区をカバーする感染制御チーム(ICT)の立ち上げというミッションを受けた崎長ライト氏。人生で一番長い日が始まりました。(編集部)

 このたびの熊本の地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げます。
 このコラムは医療情報や被災情報を正確に発信するという性格のものではなく、被災地での医療支援で起こったこと、見聞したことを「崎長ライト」という物書きの視点で描くものです。完全なノンフィクションというより脚色を含んだ物語ですが、災害医療を将来担う若い医師や医学生の役に立てば幸いと思い、書いております。なお、文中敬称は略しました。


 5年前の大震災では、福島の南相馬に行かせてもらった。
 放射線に怯えて取り残された高齢者や避難所に行けない末期がんの患者さんの家を、自衛隊の先導で、南相馬市立総合病院のスタッフと伴に巡回した。その後も、患者さんたちと文通したり、南相馬のスタッフを長崎に呼んで講演会などを開催した。今でも長崎大病院の研修医が毎年3人程度、南相馬で地域研修をさせてもらっている。新人研修医と新人看護師を対象にした災害研修も今度で6回目となる。
 僕が南相馬で役に立ったかどうかはわからないが(単なる自己満足の可能性大だが)、そのときのイメージを持って、熊本に入った。
 しかし、今回は、まったく違っていた。結局、患者さんと会うことは3日間で一度もなく、被災者の方と直接話すこともなかった。

阿蘇地区災害保健医療復興連絡会議(ADRO)の感染制御チーム(ICT)、最初の組織図

情報が錯綜し、焦りが募る
 今回の支援で図らずも(というか、思わず手を挙げてしまって)受けた任務は、阿蘇地区災害保健医療復興連絡会議(ADRO)の感染制御チーム(ICT)の初代リーダー。阿蘇地区の感染をコントロールする責任を持つ部署のリーダーという重責は、ヘタレの僕に耐えられそうもない。
 すぐに、長崎大学災害医療支援チーム第3班として僕たちに続く予定の石本裕士(呼吸器内科〉に電話を入れた。
「ごめん、緊急事態。被災地での感染制御のマニュアルが欲しいんだ」
「了解しました、すぐに手配します」
 石本とも、若いころ一緒に働いたことがある。雨漏りのする国立病院(現:長崎医療センター)で、救急患者を山ほど診た。ピカイチの研修医だった。
 何度かやりとりした後、石本はこう告げた。
「この件、田代に引き継ぎますよ。彼が感染制御だから」
 田代将人か! そうか。彼がいた。彼も研修医の時に指導した。研修が終わって河野茂(現長崎大学理事)の第二内科に入ったとは覚えているが、今はそっちをやってるのか……。早速、電話をかける。
「田代、助けて!」
「わかりました、資料を送ります」

 なぜこんなに焦っていたのかというと、前日の4月23日、南阿蘇中学校の避難所でノロウイルス疑いの人が20人以上発生したという不確定情報が入っていたからだ。その後26日のNHK「クローズアップ現代」では、22名の下痢患者のうち1人がノロ陽性であったが、日赤のチームが適切に対応して今のところ広がってないと報道されていた。しかし、この時点(24日昼)では情報が錯綜しており、他にも数カ所で下痢や発熱の患者がいるという連絡が、巡回した医療支援チームや保健師から入れられていた。

 焦っている僕のところに、ADRO事務局リーダーの伊藤宏保がやってきた。
「2名、先生のチームにつけます。場所も事務局の一角につくります。組織図はこんな感じでいいですか? マニュアルは手に入りました? 午後の会議で、全地区に配るように手配しますから」
(ちょっ、ちょっ、待ってよ。まだ、リーダーになって30分たってないよ)
 伊藤もまた焦っていたのだと思う。
 感染症の情報が急に増えてきた。しかし、ほとんどの情報は又聞きで、場所があいまいだったり、人数があいまいだったり…。さらに、「入れ替わり立ち代わり医療者が入り、その都度異なる指導をする」というクレームが入った。トイレの清掃の仕方、隔離の仕方…。現場の看護師や保健師さんたちが戸惑っているらしい。伊藤は続けた。
「ADROの方針を決めて、阿蘇全地区の協力体制を作り…」

 そこに電話が入る。田代からだ。
「先生、いいやつありました! 賀来満夫先生たちの東北感染制御ネットワークが作った『避難所における感染対策マニュアル』がベストと思います。ノロ対策は厚労省のポスターが一番いいです。これを避難所に配って……」
 田代の提案を一通り聞くと、僕は礼も言わずに電話を切った。
 丸顔で柔和な笑顔のがっしりした男が握手を求めてきたからだ。