缶詰めのパンは美味だった。

「仕事の半分は、待機ですから」
 第1班の安芸敬生の引き継ぎの言葉を思い出した。
 彼は今回、DMAT第1陣と医療支援第1班、2回も派遣されている精鋭である。冷静に待てる精神力が資質として必要なのだろう。でも、せっかちな僕はダメだ。ウロウロと事務局をのぞいたり、貼っている地図や資料を読んだり、事務局リーダーの伊藤の手が空いた隙を見て「今何やってるんですか?」と話しかけたり、コーヒー(災害用の自動販売機を無料で、医療センターがスタッフに提供していた)を飲んだり(美味しかった)、待合室の非常食(誰でも食べれる)をつまんだり。缶詰めのパンは美味しく、メープル味は特に美味だった。とにかく、落ち着きなくウロウロしていた。
 そんな時に事件が起きた。

9時51分、人生最長の日が始まった
 控室のドアが開き、数人の男性がダンボールを抱えて入ってくると、バンバンバンと隅に重ねた。テレビクルーも大きなカメラを抱えて入ってきた。
「誰か、★※▲■」
 遠くで何を言っているか聞こえなかったが、ひとりが何か言うと、リーダーの伊藤の顔がこわばったように見えた。僕の耳にはかろうじて「感染」「ICD」という言葉が入ってきた。ICD? 聞き覚えがある懐かしい響き。

 女性の事務局スタッフが慌てて走ってきた。彼らのひとりは、持ってきた段ボールを開けて、中のものをひとつとり出して、説明をしていた。戸惑う女性スタッフは、ただうなずいているように見えた。僕はおそるおそる近づいて行った。僕の後ろには、森と久志も何事かと続いた。しばらくすると、カメラクルーのまぶしいライトは消え、彼らは颯爽と去っていった。
 結局のところ、彼らが何者で、なぜテレビも来たのかは誰も把握していなかった(おそらくは感染症系の学会の方か、業者の方の善意の寄付だろう)。そんな事はよくあるようだ。特に避難所では、誰かが段ボールを置いて、いつの間にか増えていることがあるらしい。

 伊藤と女性スタッフが段ボールを見つめながら、「困ったな〜」という顔で腕組みをしていた。その段ボールの中に、あれがあった。僕らのチームが探していたあれだ。
『ノロキット』

「ICDいるかなあ〜」。伊藤はつぶやき、大きく叫んだ。
「どなたか、ICDはいませんか!」
「はい、僕です」
 僕は、伊藤の横で手を上げていた。
 面倒なことをしょい込む予感はしたのだが、森が果敢に手を挙げた姿に影響されたのか、ヘタレな僕の手が挙がっていた。
「ああよかった〜、長崎の先生ですね。ICTのリーダー、やってくれません?」
 一瞬、間を置き、伊藤からもらった言葉をそっくりそのまま返した。
「え〜、いいんですか? こんな僕でよかったら!」
 ここから、僕の一番長い一日は始まったのだった。

 ICDとはInfection Control Doctorで、感染予防や拡大をコントロールする医師。ICTとは、Infection Control Team。
 なぜだか、僕はそのICDの資格を持っている。しかし、僕の名刺の裏に、その資格はとうの昔に載せていない。10年ぶりぐらいに名乗った気がする。
 伊藤の頭の中には、ICTのTo Do Listが既に出来上がっている。
「阿蘇全地区の避難所などを統括するADROのICTを作ってください。まずは、全地区で統一された感染拡大を防ぐマニュアルが必要ですね。それもちゃんとしたものが必要です」

 冷汗が出て、足がすくむ。ことの重大さがすぐにわかったからだ。ノロウイルス感染症のアウトブレイクが起きると、大変なことになる。被災者はパニックになるだろう。パンデミック……。それを防ぐ責任が、ヘタレの自分にある。実はその日、「阿蘇の避難所でノロ集団感染?」と一部マスコミが報道していた。
 伊藤は次のタスクに移るために、その場を移動する。
「よろしくお願いしますね、先生」
 ICT任務の開始は午前9時51分。
 なぜここだけ時刻を細かく把握しているか。長崎大呼吸器内科の石本裕士(第3班メンバー)に助言を求めるべく、すぐにSOS発信した履歴が僕のスマホに残っているからだ。


※「崎長ライト、熊本へ」以前の回と続編はこちらから
(その1)帰還したDMAT第1陣、「歓迎」に心震えた
(その2)指令、ノロキットを受け取り阿蘇へ
(その4)思わず口に出た“やばい”提案