第1班からの引き継ぎで初日は暮れる
 車は阿蘇に入った。
 阿蘇大橋が崩壊しているため、外輪山沿いに大きく迂回する。長崎の小学生の修学旅行の定番は、熊本市内と阿蘇である。僕らメンバーはそれぞれ、修学旅行や医局旅行、恋人と、家族と、何度も阿蘇に来たことがある。毎回感動だった広い草原と山々の大パノラマに、今日は雲が垂れこめ、小雨で濡れている。今までの美しい風景と違って見えるのはなぜだろう。暗くなってきた。何度か、第1班から連絡があり、僕たちの位置を知らせる。急がなければ。

 ようやく到着した阿蘇医療センター。
 幸いにも、昨年6月に新しく建て替えられていたようで、最小限の被害で済んだようだ。1階の正面玄関の右側の広いスペースが阿蘇の医療支援の本拠地、事務局となっているようだ。

実質リーダーの森が事務局で登録。1班の山下が見守る。

 第1班はセンターの入り口で待っていてくれた。
 3日間、寝袋で寝て、食事は非常食。熊本市内を飛び回り、最終的には阿蘇へ拠点を置くように道筋をつけてくれた精鋭部隊である。災害急性期から亜急性期、現地への支援チームが2〜3日単位で入るのは当然なのだろう。過酷な状況や緊張感で張り詰めた環境で、集中力はそれくらいしか続かない。彼らの顔を見てそう思った。疲労感と達成感のいりまじった表情だった。
 事務連絡、荷物の引き渡し、カルテの使い方などを教わると、日は暮れていた。

「写真を撮ろうよ」
 躊躇する彼らを促すのは、最年長の僕の役目だ。きっと、いつかは役に立つと思う。後に続く人のために、記録は必要だ。集合写真を撮るときはいつも、ガッツポーズや笑顔を求めるのだが、さすがに言える雰囲気ではなかった。
 第1班を見送った後、僕らは何か手伝おうとしたが、事務局は忙しそうでばたばたしており、話しかけることも憚られた。とりあえず、実質のリーダーの森君が事務局へ登録に行った。既に20チーム以上が登録されていたようだ。上下のかっこいい災害スーツに身を包んだチーム、「DMAT」と光るベストを身に着けたチームが、それぞれの病院や団体の名前を背負って忙しく行き来していた。精鋭の第1班から引き継ぎを受けた僕ら「ゆるゆる」の第2班は、気後れして部屋の隅に固まっていた。

精鋭の第1班からの引き継ぎ(左から梁瀬、久志、水田、大山)

「大丈夫ですかね、わたしたち」
 久志が不安そうにつぶやくと、水田が明るく答える。
「まっ、下々の者は言われたことをやるだけさ」
 森が受付から帰ってきた。
「今日はもう遅いから、仕事はないみたいです。撤収。明日、7時半集合」
 やる気満々で来た、若いメンバーはがっかりしたようだが、僕は正直、ほっとしていた。この事務局の熱気についてゆく自信が、この時はなかった。一度クールダウンした方がいい。

「宿へ向かおう」
 僕は若いメンバーにこう告げた。
「えっ、宿ですか? ここで、寝袋で寝るんじゃないですか」
「そんなことしたら、この病院の人に迷惑だろう。それに、近くの施設は避難所になっている。第1班が、小国に見つけてくれた宿がある」
「なんか、後ろめたい気持ちもあります」
「そうだろうけど、宿でお金を使うのも復興支援になると思うよ。普通のお客さんはすべてキャンセルだから、支援の人が泊まってやらないと」
 今、観光客のキャンセルは熊本だけでなく、九州各地で起こっている。長崎と熊本は修学旅行のパックになっているが、今週だけで長崎県内のキャンセル数は数万人に及ぶと言われている。熊本はその比ではないだろう。
 僕たちは第1班から引き継いだ荷物を積み、さらに重くなったセレナで闇の中、中阿蘇の山道を北上した。


※「崎長ライト、熊本へ」以前の回と続編はこちらから
(その1)帰還したDMAT第1陣、「歓迎」に心震えた
(その3)阿蘇地域のICTリーダーに
(その4)思わず口に出た“やばい”提案