災害医療支援チームのリーダーとして熊本に入った崎長ライト氏。初日は熊本県庁から阿蘇へ向かいます。(編集部)

 このたびの熊本の地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げます。
 このコラムは医療情報や被災情報を正確に発信するという性格のものではなく、被災地での医療支援で起こったこと、見聞したことを「崎長ライト」という物書きの視点で描くものです。完全なノンフィクションというより脚色を含んだ物語です。災害医療を将来担う若い医師や医学生の役に立てば幸いと思い、書いております。
 第1話も多くの医療者の方々に読んで頂いたようです。熊本でも数名の医療者の方に「読みました」と言われ、好意的に捉えていただいたようです。「災害医療は功名を競うものではない」とご批判する方もいると思いますが、「続きを読みたい」という読者も多数いるようですので、継続いたします。なお、文中敬称は略しました。


 指令。「ノロキット」を熊本県庁で受け取り、阿蘇へ。
 2016年4月23日土曜日早朝、長崎大学災害医療支援チーム第1班からの指令で、僕たちは島原からフェリーに乗り、熊本へ到着。陸路、県庁に向かっていた。僕たちというのは、内科医2名、看護師2名、事務1名の長崎大学災害医療支援第2班。DMATではない。
 DMATとは、「災害急性期に活動できる機動性を持った、トレーニングを受けた医療チーム」であり、第1話で報告した災害医療のプロの集団で、人命救助を目的としている。事態が少し落ち着いてくると医療支援チームが派遣される。
 医療支援チームはどちらかというと、慢性疾患の患者さんに接している内科系の医師が多いと思う。災害発生から1週間くらいたつと、やはり日頃の持病や精神面へのケアが必要な人が多くなるようである。

 熊本県庁に着くと、玄関はものものしい雰囲気であった。
 災害時にはこういうものか……と思ったが、白バイに黒塗りの車、バス。ちょっと変だ。後で分かったことだが、ちょうど安倍首相が訪問していた時間だったようだ。僕らは、報道陣やSPたちが集まる玄関の脇を、ジーンズやシャカパン姿で恐る恐る通る。水田芳博がささやく。
「ここで、不審者と間違われて捕まったら、看護部長から怒られるだろうな〜」
 皆、笑いをこらえて肩が震える。水田はチームのムードメーカーで、緊張している僕らをいつも和ませてくれる。長い移動の中で、何度も爆笑させてくれて、皆、元気を出すことができた。彼はICUの中堅看護師だ。生と死の瀬戸際であるICUで働くからこそ、人をリラックスさせるすべを水田は自然と身に着けているのかもしれない。彼のおかげで、怒涛のような3日間を、(不謹慎ではあるが)楽しく頑張れたと思う。

 県庁の8階へ向かう。
 エレベーターが使用できないということで、8階まで階段を昇る。息が切れる。若いメンバーは、どんどん登ってゆく。支援チームのメンバーがここで倒れたらシャレにならないなと思いながら、休み休み、なんとかたどり着いたが、探しているノロキットはない。いろんな人に聞いて、さらに時間が経つ。
「ノロキット探して、ノロノロだなあ〜」
 沈黙。
 僕のおやじギャグには誰も笑ってくれない。唯一、間をおいてクスっとしてくれたのは、紅一点の久志(ひさし)愛美。彼女は五島列島出身の3年目看護師だ。水田と同じICU勤務。まじめで一生懸命に何でもトライする。いいメンバーが来てくれた。
 言わずもがなかもしれないが、ノロとはノロウイルスのこと。その感染をチェックする簡易検査ツールをノロキットという。こちらでは、皆「ノロキッド」と呼ぶが、九州独特なのだろうか?
 思えば、このときはまだ冗談を言う元気があった。まさか、「ノロ」のおかげで冷や汗が止まらないくらい大変な事態が待っていようとは……。いや、冷や汗どころではない。翌日は僕の人生の中で最も長い一日が訪れることとなる。