初期対応はベストを尽くした
 長崎大DMAT第2陣も16日早朝出動。
 そのころ、長崎大学病院では災害対策本部を設置し、「熊本から大量の患者が運ばれる」という情報で、研修医や看護師も合わせて100名体制で待ち構えていたが、結局搬送されたのは1人のみだった。情報は錯綜、行動は混乱で、長崎にいて、もどかしさとやるせなさが募るばかりであった。海を隔てた隣県であるのに情報はなかなか届かなかった。

「地震は起こらないだろう」という根拠のない神話が、様々な遅延をもたらしたのかもしれない。そんなことを少々熱くなって語る僕に、
「そうでもないと思う。初期対応はベストを尽くしたと思う」
 高山隼人は、淡々と話してくれた。

 彼は4月16日、長崎大DMAT第2陣として熊本県庁へ入った。現地のDMAT調整本部では、3つの地域に分けて活動を行う方針で調整をしたようだ。高山は17日から熊本市以南の地域を統括する活動拠点の本部長として、甚大な被害を受けた地域をはじめ、100チーム以上の活動を指揮した。残り2つの地域は、北部と阿蘇で、阿蘇に関しては大分県武田市に本部を置いたようだ。
 現時点での高山の印象だが、今回のDMATの活動は東日本大震災の経験が生き、消防、行政、医療のチームワークは良く、動きが迅速かつ正確であったようだ。高山と共に随行した看護師・永富礼二は帰院後、長崎新聞のインタビューにこう振り返っている。
「搬送した高齢の男性から『自分は置いておいてくれ』と言われてショックだった。その男性は、熊本を動きたくなかったようだ。被災者の気持ちをくみ取りつつも、命を最優先で行動しなければならない」
 それぞれの領域のプロたちが、今に至るまでずっとベストを尽くしているのだろう。
 高山は救命のプロだ。長崎医療センターの救命センター長から今春、長崎大学病院ながさき地域人材支援センター長に就任している。長崎県のDMATのトップでもある。そのプロは言う。
「これから、救命救急支援から医療救護支援にうまく移行することが重要だ」

熊本市役所で医療救護の調整を行う山下和範氏(中央)。(提供:長崎大学病院)

これは我が身に起こった大震災
 21日早朝、山下和範をリーダーとする長崎大医療救護支援第1陣が熊本に発った。山下も災害医療のプロ。長崎大学病院の災害医療の責任者でもある。21日夜、LINEで山下に連絡を入れると、21時頃に電話をくれた。
「今、どこですか?」
「熊本市役所です」
 電話越しに慌ただしさが伝わってくる。人の声、電話の音、遠くの救急車らしき音……。
「どんな活動をしてるんですか?」
「医療救護の調整ですね」
 いつも、山下は冷静だ。救急や災害の人は、いつもクールなイメージを受ける。僕のような、すぐに泣いたり怒ったり笑ったりする人間には向いていないとつくづく思う。
 山下の話によると、熊本市役所で救護所などから寄せられる様々な医療ニーズを分析し、活動の指示を送っているようだ。

「最終的には、現地の医療機関につなげる役目ですね」
 山下によると、熊本市内は医療機関が多く、徐々に活動を再開しているので、救護所での医療支援のニーズは、状況を見ながら判断していくということだ。日赤のチームは既に熊本市内の救護所の支援は終了し、別の活動に移っているようだった。
 電話の向こうで何か急ぎの案件が入ったようで、僕は慌てて礼を言って電話を切った。ちょうどそのとき、NHKでは熊本市長がインタビューに答えていた。
「中越や東日本など、日本は様々な地震を経験して復興してきたが、それを自分のことと考えることができなかった。後手後手に回っている」
 というようなことを言っていた。正直な人だと思う。九州のほとんどの人が同じ思いだろう。

 ここに書いたような、被災された方々と医療者のドラマはあちらこちらで起こり、これからも続くだろう。地元熊本の医療者、他県からかけつけた医療者、医療者以外にも実に多くの方々の尽力に心より敬意を表さなければならないと思う。ネット上では、偽善とたたく人もいるらしいが、やっぱりそれはどうかと思う。そして、ドラマも小説もハッピーエンドで結ぶことができるが、現実はそうはいかない。

 21日夜の長崎のテレビで熊本地震を扱ったのは、僕の見た限り、NHKで2本、民放で1本。別のニュースでは「リーマンショックや大震災でない限り…」とも言っていた。「大震災でない」だって?
 今の事態は僕にとって、僕の周りにとって、おそらく九州の人々にとって、我が身に起こった大きな震災である。その証拠に、僕が明日(23日)から熊本に医療支援で入ることが決まると、周りは皆「大丈夫ですか」と不安そうな顔をする。5年前に福島に派遣されたときは「頑張ってください!」と笑顔で見送るスタッフが多かった(ように記憶している)というのにだ。

 きっと、九州の人々の中にあった「大地震は起きない」神話が崩れたせいかもしれない。そう思いながら、僕はリュックサックを取り出し、支度を始めている。明日以降も天気はあまり良くないようだ。できる限りのことをやるしかない。

2016年4月22日午前6時 崎長ライト

※「崎長ライト、熊本へ」続編はこちらから
(その2)指令、ノロキットを受け取り阿蘇へ
(その3)阿蘇地域のICTリーダーに
(その4)思わず口に出た“やばい”提案