4月14日以来、大変な事態になっている熊本と大分。「フルマッチ」作者の崎長ライト氏は長崎で支援への思いに駆られていましたが、いよいよ現地に赴くことに。まずは先発隊への情報収集を行った前日譚から、お読みください。(編集部)

 このたびの熊本の地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げます。
 このコラムは医療情報や被災情報を正確に発信するという性格のものではなく、被災地での医療支援で起こったこと、見聞したことを「崎長ライト」という物書きの視点で描くものです。ご批判もあろうと思いますが、災害医療を将来担う若い医師や医学生の役に立てば幸いと思い、記録していきます。なお、文中敬称は略しました。


 大地震は起きない。
 そう思っていた九州の人は多かったのかもしれない。長崎県で、家庭内に飲料水や食料を備蓄する人は23%。この数字は全国最低だそうだ。関東から長崎大医学部に入った研修医に長崎の印象を聞くと、「6年間、揺れなかったのがびっくり」と答えられ、こちらがびっくりしたことがある。だから、14日の揺れ(長崎は震度3)に、「生涯で最も揺れた」と驚いた人が多かった。「九州でも大地震が起こる」という精神的なショックを受けた人も多いだろう。僕もその一人だ。
 その夜は「ボトルは割れてないので、飲みに来てください?」のメールをスルーし、熊本の友人と連絡を取り合ったりしていた。その時すでに、長崎大学病院のDMAT第1陣は、熊本へ向かっていたようだ。

瞬間、地面がなくなった
「死ぬかと思たわ」
 リーダーの山野修平に帰還後に聞くと、関西なまりで静かに話してくれた。山野は数年前、田崎修が長崎大の救命センター長に就任するときに共に大阪から長崎へ来た救急医だ。
 山野ら第1陣は、熊本赤十字病院に15日4時30分到着。33番目の隊だったそうだ。最初の10隊が益城町へ向かい、他の隊は待機することになった。夜が明けて、益城町の救護所(飯野小学校)へ向かう指示が出た。
 そのまま日中は宮崎県のDMATと詰めたが、避難者はほとんどいなかった。被災した家を見に帰っていたのだ。この地域には、幸いけが人や急病人はいなかったが、「避難所に医療者がいるだけで安心する」と言ってもらえたそうだ。夕方になってぼつぼつ人が帰ってきたが、バタバタすることはなかった。このまま早めに長崎へ帰ることも予想されたが、21時30分頃、別の任務が発生した。

「東熊本病院に倒壊の危険あり。約30人の歩けない患者を別の病院へ搬送せよ」
 投光器で照らされる東熊本病院(益城町)で、緊急消防援助隊とともに熊本市民病院(熊本市東区)への搬送作業を進め、6人目を外に出したときだった。山野の足元の地面が大きく突き上がって体が宙に浮く。そして、地面がなくなった。山野はアスファルトのくぼみへ落ち、そこへ救急車が落ちてきそうになって、急いで逃げた。別のDMATの車が割れ目へ落ちるのが見えた。

16日未明の本震後の東熊本病院(益城町)。患者を他院に搬送する最中に本震に襲われた。(提供:長崎大学病院)

「そっからが大変でしたわ」
 余震を知らせるサイレンが何度も鳴り響く中、恐怖に震える患者もいる。搬送予定の熊本市民病院も被災し、別の病院を探さなければならなかった。ようやく見つけた搬送先は東病院(熊本市南区)。30人を受け入れてくれた。搬送中、益城町ではほとんどの木造家屋が倒壊し、被災した人たちが歩道に立ち尽くしているのが見えた。
 東病院に入り、真っ暗な玄関に「歓迎 東熊本病院」と書かれたホワイトボードを見つけたときに心が震えた。このような状況の中で、「歓迎」と言える医療者はすごい。山野は心から思ったそうだ。

東熊本病院で患者搬送に携わる山野修平氏(手前)。(提供:長崎大学病院)