• 中塚 さちよ氏 Sachiyo Nakatsuka, M.S.W. (Master of Social Work)
  •         (ケアマネジャー、介護福祉士)
  • 年齢 : 37歳
  • 現在の職業 : 世田谷区議会議員
  • 現在の勤務先 : 世田谷区議会
  • 出身大学・学部・卒業年度 : 成城大学大学院(修士;国文学)
  •              明治学院大学大学院(修士;社会福祉学)
  • 臨床専門分野 : 介護、在宅ケア(難病)
  • +αの道に入る前の臨床経験年数 : 5年
  • +αの道に入った後の臨床経験年数 : 5年
  • +αの道に入った際の年齢 : 30歳
  • +αの道の種類 : (1)福祉関連コンサルタント、(2)政治(地方議会)

何故+αを選んだのか

 最初の職場は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)や筋ジストロフィーなどの神経難病の患者さんを中心に、24時間265日の在宅ケアを提供しているNPO法人(訪問看護・訪問介護・居宅介護支援事業所)で、ヘルパーとして働かせていただきました。

 学生時代に、ボランティアとしてそこに関わったのをきっかけに、2000年の卒業後そのまま入職。ちょうど、日本で特定非営利活動(NPO)促進法、介護保険法が出来たばかりで、ボランティアや介護といったことに機運の高まっていた年でした。地方出身で女性の私としては、手に職があれば東京で一人暮らしでも困らないという思いもありました。

 人工呼吸器を装着している難病患者さん達の在宅介護には、たんの吸引や経管栄養など、いわゆる「医療的ケア」の問題がありました。訪問看護や家族の介護だけでは限界があるのに、私たちヘルパーが介助することは、法律上認められていない。私の職場は、NPO法ができる以前から、任意団体として10年以上の在宅ケアの実績があり、技術などは職場のナースや先輩ヘルパーが指導してくれましたが、私たちヘルパーは、免許がないのにやってよいのか、違法なのではないか、何かあった時の責任はどうなるのか、という不安も大きく、やっていることの大変さに比べて待遇が見合わないという不満もありました。

 患者さんやご家族は本当に困っている。事業者としては、病院から出され行き場のない患者さん、「家で暮らしたい」という患者さんを支えたい。そのしわ寄せが私たち末端にきていて、これは「制度」が悪いんだ、現場に合わせて制度のほうを変えなくてはと考え、その手段を模索し始めました。

どのようにして+α道に入ったのか

 制度を変えたい→政治家になる、といきなり思いついたわけではありません。職場の経営者からは、研究者として論文を書いて政策提言したり、ライターやマスコミ関係の仕事に就いて社会に訴えるなどの方法があると助言をもらいました。そこで、まずは福祉の大学院に行って研究をしようと思いました。

 宣教医師のヘボン博士が創設した、福祉に歴史のある明治学院大学の大学院に進学しました。調査のゼミを3つ掛け持ちして、統計や社会調査の勉強をしたり、インタビュー調査の手法などを学びました。制度を変えていくには、現場の問題を根拠あるデータや数字で示していくことが大事だと考えていました。

 一方で、大学院の先生からは、修士論文を書くにはもっと制度や政策の勉強が必要だと言われ、たまたま政治家事務所でのインターンシップ(職場体験)を提供しているNPOの存在を知り、現・厚生労働大臣の小宮山洋子衆議院議員の元でインターン生として学ばせていただける事になりました。

 当時の民主党は野党でしたが、小宮山議員は児童の分野や尊厳死・臓器移植の問題、パートタイム労働者の待遇問題などで、法改正の際に修正案を出したり、超党派の議員連盟の活動で法案づくりに尽力するなど、専門性をいかした活動をされていました。永田町に出入りする中で、制度を変えるにはやはり政治の力が大きいことを実感しました。

 大学院を出た後は、一つ目の「+α」になりますが、保健・福祉分野を専門とするシンクタンクに研究員として就職をしました。すぐに政治の道に進まなかったのは、せっかく大学院で福祉を学んだのだから、まずは福祉の道で役に立たなければという思いが強かったからです。

 主に基礎自治体(区市町村)のアンケート調査の企画や分析、介護保険など保健福祉に関する計画策定のコンサルティングが仕事でした。面白く、色々と学べる仕事でしたが、法律に基づいて仕事をする公務員や、そこから仕事をもらう立場のコンサルでは、私が現場にいた時に突き当たっていた、制度の壁を変えるということは難しいと感じました。同時に、地方分権の流れの中で、自治体間格差などの現状を知り、自分の住む街への関心も深まりました。

 そうした中、大学院生時代にお世話になった小宮山議員より、統一地方選で民主党の公募に応募しないかと声をかけられました。二つ目の「+α」として政治を選択する決断をし、会社を辞めて、以前の職場のALSの患者さん宅で、夜勤の介護のバイトをしながら1年間、選挙に向けた活動をしました。2007年4月に初当選、2011年4月に再選し現在に至ります。

プラスαの道はどうであったか、何を学んだか

 選挙に勝つための活動には、これまでと全く違ったベクトルでの努力が必要とされました。介護の現場は人手不足で、仕事はいくらでもありましたが、議員の仕事をさせていただくには、他の候補者を振るい落として自分が当選しなくてはなりません。また、自分一人の力では十分な活動は出来ないので、さんざん人に迷惑をかけ、嫌がられてでも、頭を下げて、協力や助けを求めなくてはなりません。そのような立場になってみて、これまでは専門技術や知識、経験を拠り所に、自分は困っている人を「助ける」立場だとどこかで奢っていた部分に気づかされました。

 議員になってみて、介護や福祉だけでなく、議会のさまざまなことや、広範囲にわたる区民生活における課題の解決に向けて日々勉強中ではありますが、やはり一番学んだことは、多くの人に助けられて自分が今あるということへの気づきと、感謝の気持ちを持つことの大切さであったと感じています。

現職に+αはどう生きているか、または現職が+αそのものの場合は、臨床経験が現在どう生きているか

 現在は、世田谷区議会議員として、介護・福祉・医療の問題を中心に議会での質問や提言をしています。一方で、介護福祉士とケアマネジャーの資格を取得し、議会の閉会中などに、要介護認定調査員として現場での仕事もしています。

 世田谷区議会議員は50名いますが、介護の現場出身の議員は自分しかいません。実際に現場で働いて何年も介護をやってきたということは、介護で悩んでいる人たちにとって、「この人ならわかってくれるのでは」という心情を持っていただけるようです。「介護のことなら中塚さん」といわれ、相談者の役に立てることがあるとうれしいです。

 また、2期目(6年目)になり、介護で悩んでいる区民の方以外にも、介護の事業者さんや医師など専門職の方からの質問や相談が増えました。同じ問題意識や思いをもった現場の皆さんと一緒に、制度の問題点を解決していけたらと思っています。

今後どのようにキャリアを形成していくか

 近年、20代〜30代の若手で、地方(区市町村)議員になる人が増えていますが、落選した場合はとても大変です。地方議員では、浪人しても活動費や生活費が得られないことがほとんどです。他の業界で通用しそうな、経験やスキル、専門性も見出しにくい。何期か続けても、全員がその後、都道府県議会、国会あるいは首長選挙に出て、当選できるというわけでもないし、若手の議員経験者のキャリアパスをどう描いていくのかは、これからの課題だと思っています。

 私の場合は、もともとの専門領域、資格があるので、地域の皆さんに選んでいただき、税金でお給料をいただいて政治や行政について得た知見を、機会があれば再び地域、現場に戻ってアウトプットしていくのも自分の仕事かなと思っています。また、最近は介護事業の経営にも興味があります。介護現場の待遇の悪さが指摘されていますが、議員になってさまざまな介護事業の経営者の方々とお付き合いさせていただく中で、制度・政策面での改善以外にも、より良い経営を行うことで、働く人たちのモチベーションと報酬を上げることが可能であることを教えていただきました。

 +αの道に入ったからこそ知り合えた、思いを持った仲間や尊敬できる方々と知恵を出し合いながら、介護現場をもっと魅力あるものにしていきたいです。

ブログ・ホームページなど
ホームページ : http://www.nakatsukasachiyo.com/
ブログ : http://sachiyo422.exblog.jp/
ご自身が紹介されたマスコミ媒体など
・「新春対談 若手議員にきく」『都政新報』(2008.1.4)
・『市議会議員になる方法』(ダイヤモンド社刊)
・「実は楽勝![市・区議会議員]当選ガイド」『SPA!』(2010.11.30)

 

※「臨床+α」の詳細はこちらをご参照ください⇒http://rinsho-plus-alpha.jp/