中田健夫氏 プロフィール

所属
社会医療法人社団慈生会 等潤病院手術部長
東京医科歯科大学大学院非常勤講師
多摩大学大学院統合リスクマネジメント研究所研究員
略歴
1967年 東京都生まれ
1995年 香川医科大学卒業 (MD)
卒後、東京医科歯科大学医学部附属病院、山梨医科大学附属病院、東京警察病院等に勤務
2001年 シンガポール医師免許取得、Gleneagles Hospital Singapore及びMount Elizabeth Hospitalに勤務
2011年 東京医科歯科大学大学院博士課程修了
2012年 東京医科歯科大学大学院非常勤講師
著書
アジアの医療保障制度(第2章シンガポール):東京大学出版会
趣味
志野流香道、大型自動二輪、日本史、アメリカンフットボール

シンガポールで医師として働いた経緯について教えてください

 私は初め日本で7年間外科医をやっていましたが、働いているうちに、日本の医療の閉鎖的な環境から抜け出したいと思うようになりました。性格的なものもあったと思います。更にもともと海外に興味があったこともあり、海外に出ようと思いました。当時、日本の医師免許で医療活動ができる国は中国、イギリス、フランス、シンガポールで、そのうちの一つがたまたまシンガポールだったというだけでした。

 インターネットで、シンガポール現地日本人情報掲示板に診療所の電話ファックス番号があったので、それを信じていきなりファックスを日本から送りつけたら、先方から連絡がありました。今から考えると、滅茶苦茶な職場選びでした。

シンガポールではどのような生活を送りましたか?

 勤務内容は、日本人向け総合診療でした。外科と麻酔科での経験があったのですぐ慣れました。半分くらいが小児科領域でした。

 病院内での英会話ですが、慣れるのに半年位かかりました。英検準1級持っていたので、テレビやラジオの普通の英語は理解できたのでが、シンガポール人が話す「シングリッシュ」には非常に苦労しました。中国語の文法で英語を話す方言です。シンガポールの英語は英国英語ですので、米国英語を習ってきた日本人には少し違和感があります。単語も少しずつ違うので興味深いです。

 日常生活は、海外旅行やシンガポールの友人達とのパーティーが多かったです。私は、日本人社会とは距離を置いていたので、業務以外で日本人とは殆ど付き合いがありませんでした。

シンガポールで困ったことや感じたことはありますか?

 シンガポールで医師として働いていく上では特に苦労はありませんでした。シンガポールで生活して感じたことは、日本の優れた点は公衆衛生が素晴らしいということです。街の清潔が保たれています。このおかげで平均寿命も延びていると思います。逆にシンガポールは街にゴミを捨てると罰金ですが、実際には監視の目がない裏通りにはゴミだらけです。これはシンガポールと日本の国民性の違いだと思います。

実際に医師として働き、シンガポールの医療をどのように感じましたか?

 シンガポールで医師として働いた時に、日本とシンガポールの医療のレベルの差に愕然としました。医療技術・医療設備・医療政策と全てにおいて日本は遅れていたのです。例えば、手術機器では日本では見たことのないものがあり、麻酔薬も私がシンガポールで当たり前に使用していたものが、帰国してからやっと日本で発売されるような状態で、Device ragやDrug ragを感じました。その中で最も日本とシンガポールの違いを大きく感じたのが国の政策や役人の考え方などの違いでした。

 このような経験から日本に帰国してから医療政策・医療経済を学ぶために大学院に行こうと思いました。

医療政策・医療経済を大学院で研究して感じたことはなんですか?

 現在、日本は医療政策・医療経済の分野は他の国と比べて全てが遅れています。その原因として挙げられるのが、一つ目として医療知識のない官僚がこの分野を先導しているということ、二つ目として政策と経済が分断されているということです。

 また、日本の厚生労働省の医系技官は臨床経験が少ない人が多く、疫学を中心に取り組んでおり、医療政策・医療経済に関してはあまり力を入れていません。医療政策・医療経済に取り組むためには臨床をある程度経験していないと出来ないですし、更に政治と経済を一体で考えることも必要です。今の日本にはそのようなトレーニングを受けた医者はほぼいないと思います。一方、海外では医療政策・医療経済の担当者は基本的に医者なのです。例えば、シンガポールではまず医学部を卒業した医者が医療政策を専門的学んでいるのです。もちろん医者以外の人とも協力していますが、根本的な思考回路が違います。

 医療政策を考える上で感情論はあってはいけないのです。冷静な目で現状を第三者的視点で見なければなりません。私は、シンガポールで外国人として生活した経験から物事を公平に見る第三者の目が培われました。これはシンガポールに行って得たとても大きなことでした。

 そして、私自身は政策より経済が上にあるべきだと考えます。どのような政策、政治体制であれ、みんながご飯を食べることができることが一番重要なのです。また、政治的自由と生活水準は必ずしも一致しません。私はその一例として徳川幕府を挙げます。当時では政治的自由はありませんでしたが、対外戦争も国内戦争もなく265年間も安定したのは、徳川幕府の経済政策が抜群によかったからです。

 このことはシンガポールにも言えることで、シンガポールでは国民の政治への参加は著しく制限されているし、街中には多数の監視カメラがあり完全管理国家といわれていますが、GDPの伸び率からも分かるように経済成長は著しいです。単純に言うと、みんなが豊かになる、それが一番大切なことなのではないでしょうか。

今後どのようなキャリアを形成しようと思っていますか?

 日本の様子を日本人として見るのではなく、どんな価値観にとらわれることなく、第三者的視点を持って海外から眺めようと思っています。ですから、私は来年にはシンガポールに帰ろうと考えています。

 また、日本では臨床の実情と政策・経済がかけ離れています。日本の医療経済は社会主義型統制経済なので、資本主義型経済に則って動いていません。残念ながら日本では、臨床医の仕事と大学院で研究したことが繋がることはありませんでしたが、シンガポールに帰れば経営のことを考えるので医療経済を学んだことは役に立つのではないかと考えています。

 シンガポールに限りませんが、外国で暮らすということは不自由になることもあります。例えば、外国で暮らすということは自由が半分になります。それは、経済的な自由はあるけど、思想・信条的な自由はないということです。それを踏まえた上で生活していきたいと思います。

学生が医療政策・医療経済を学ぶには

 それはすごく難しいかもしれません。医療政策・医療経済の分野は実際に医者になって現場で働かないと分からないことが多く、加えて医学以外の勉強も重要です。私の考えでは日常の臨床の経験を積まないとミクロ医療経済を語れないということです。従来の日本の医療経済政策は経済学者や文化系の官僚によるマクロ医療経済論ばかりでした。

 また、物事を考える上で教養は必須です。ある国の医療政策を知りたいのなら、その国の歴史・文化・国民性をまず知らないと理解出来ないのです。これらの知識全てが揃ってから初めて医療政策・医療経済を考えることが出来るのです。

 また、得た情報は全て自分で確認することも大事です。今ではインターネットなどで手軽に情報が得られる一方で、情報が氾濫しており、誤っている情報も多くあります。学生は物事を二元論で考えがちですが実際はそうではありません。医療制度はなにが絶対的に正しいなどはなく、その国々の実情や背景によって違うからです。

 その例として挙げられるのが韓国の保険制度です。韓国は日本を参考にして、日本と似た社会保険制度ですが、文化・国民性が違うことに加え、経済力が日本の半分以下しかないのでこれから維持するのは大変難しいでしょう。日本の社会保険制度は日本の経済規模があったから実現できたのです。しかし、今の日本の経済力はどんどん落ちており、このままでは医療制度を維持できなくなります。

 また、日本とアメリカの医療政策を比較する学者がいますが、そもそも社会の成り立ちが違うのでなんの意味もありません。海外の医療政策をそのまま日本に当てはめることにも無理があるのです。結局、国同士の比較は参考程度にしかならないです。その点で、経済を追求するシンガポール医療政策はシンガポールの国民性に合っていると思います。

学生スタッフより〜取材感想

 日本の医療政策・医療経済の現状を伺い、医療の現場の意見が政治に反映されることの重要性を感じました。医療政策・医療経済を発展させることは飛躍的に医療の質を高めることに繋がりますが、誤った方向に進んだ場合は逆の結果が考えられます。そのためにも、今後は更に医療政策・医療経済を学ぶ医療人が増え、現場での意見を発信する必要があると感じました。

 また、最近はインターネットで情報が手軽に入る時代なので、以前よりも知識・情報の価値を軽く扱いがちです。膨大な知識はかえって不十分な理解を生じます。取材での「その情報は本当に必要なのか、バイアスがないかを疑ってみる必要があります。しかし、一番信じられるのは自分の体験です。」という中田先生の言葉が印象的でした。

 そして、物事の関係を、感情を交えないで見るというのは一見冷徹に見えますが、一番中立的で確固たるものだと感じました。そこに研究者としての中田先生の芯の強さを感じました。

(学生スタッフ 玄 安理)

※中田先生による勉強会(2012年10月20日)⇒http://rinsho-plus-alpha.jp/?p=1949

※「臨床+α」の詳細はこちらをご参照ください⇒http://rinsho-plus-alpha.jp/