目の前を、黄色い帽子をかぶった小学生の修学旅行のグループが賑やかに通り過ぎる。一番後ろの背の高い男の子が僕の目の前で立ち止まり、くるりと後ろを振り返って手招きした。さらに後ろ、女の子がリュックを背負い、のろのろとけだるそうに歩いている。男の子は首を一度横に倒し一瞬ためらったようだが、走って迎えにいく。怒ったように女の子のリュックを取り上げて、右手に持ち、左手で女の子の手を引いた。白のブラウスと紺のスカートの女の子は、嬉しそうに僕らの前を通り過ぎて行った。年老いた同級生たちも、その光景を見ていたようだ。

「あの時、ああやって、あたしの手を引いてくれた」
「ああ」
「ありがとう、トオル君」
「いや、こっちこそ。それと、キヨちゃん、ホントにすまなかった」
「いやだ、もういいのよ。昔のことだから」
「ありがとう、キヨちゃん」
 川沿いの手すり脇に咲く紫陽花の紫や白の花びらが揺れていた。これが、キヨさんの『再会を信じて耐えた日々』にまつわる紫陽花物語だろうか。

 時計を見たら、そろそろ1時間だ。帰るか。アイはどこだ?
 辺りを見回したら、すぐにわかった。こういう時、ピンクのスクラブは目立っていい。
 アイは川の向こうの柳の並木通りに立っている。ひとりではない。
 誰だ?
 若い男と並んで話しているが、少し変な構図だ。互いに川面を見つめて腕組みし、険しい顔で話している。時々、どちらかが視線を合わせようとするが、合わない。川面に映る相手の姿に言葉を投げているようだ。
 おっと〜、もうひとりの登場人物がいた。男の数メートル後ろ、白い日傘がくるくると回っている。2人をちらりちらりと見る時に、顔が見える。長い髪の若い女の子であることは間違いない。視線はアイの後ろ姿を突き刺しているような感じがした。
 アイは東京から来て日が浅い。新しい恋愛などする暇もなかろう。じゃあ、男は誰? 何が起こっているのかはわからないが、若いアイの『再会を信じて耐えた日々とその愛の軌跡』において、まだまだ耐える日々が続くことは間違いなさそうだ。
 僕が書くシナリオの題材になるかもしれない。純愛もの? それとも三角関係の果てのサスペンスか……。
 
 謎の男が去り、アイはこちらに、さばさばした表情で戻って来た。キヨさんとトオル君の前に小走りでやって来ると、ベンチに一緒に座ったようだ。
 若干棘がある言葉が聞こえてきた。
「キヨさん、モトカレとのお話はどうでしたか? 楽しかった?」
 「元彼」という言葉をキヨさんが理解できたかどうかはわからないが、そこは80年以上生きてきた女である。小娘に臆することなく、勝ち誇るように返事した。
「楽しかったよ〜。とっても。ね〜、トオルさん」
 いつのまにか、「トオル君」は「トオルさん」に昇格していた。トオルさんも声をだして笑っていた。
「いいなあ、いいなあ、キヨさんの紫陽花物語は。わたしなんか散々」
 今度は甘える。このふたりの関係は、患者と医師のそれから、祖母と孫、あるいはそれ以上の女同士の絆があるのかもしれない。
「よしよし、アイちゃんはまだまだ若いから」
「うん。あたし、頑張るから」
 キヨさんがアイの髪をなでているのであろうか。すすり泣くような声が聞こえたような気もするが、目の前を通る旅行者の会話で打ち消された。何回目かの修学旅行のグループが通り過ぎた時、アイの大きな声が紫陽花の壁の向こうから聞こえてきた。
「センセー、そこにいるんでしょー。盗み聞きは勘弁してよ〜」

 アイが紫陽花の花の間から、こちらに顔を出した。僕は慌ててスマホをいじっていたふりをしたが、バレバレだったようだ。
「誰にも言わないでくださいよ、先生! 同期には、秘密なんですから」
 キヨさんはケラケラと笑い、優しく言った。
「そうね、秘密ね。女の恋はいつも秘めたものですから」
 人は死ぬまで密かに恋をし、紫陽花物語を紡いでゆく。色とりどりの紫陽花の花びらがひとつひとつ揺れて、僕にそう教えてくれているようだった。

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