在宅医療にかなり興味があるらしい、初期研修医の鈴木アイ。今は救命センターで研修中だが、その合間を縫って在宅医療研修に参加している。梅雨の晴れ間、教育センター講師の「僕」と向かうのは、西洋人居留地の佇まいを残す小さな洋館だ。


(イラスト:タテノカズヒロ)

「桔梗草、矢車菊、サイネリア、ラベンダー」
 アイは、庭先の青い花々を指さして呼んでいく。
 芝を綺麗に敷いた洋館の庭にはプランターが並び、小さな花々が一斉に咲いている。小雨が上がって、久しぶりの太陽の光に花々が喜んでいる。その花々を囲む深緑のマサキの垣根の向こうには、湖のような海に大きな客船が浮かんでいる。この高台は遠い昔の鎖国時代、日本唯一の西洋人居留地だった。その当時の佇まいを思い起こさせる小さな洋館の庭に僕ら3人は立っていた。

 薄いピンクのスクラブ姿のアイは嬉しそうに続ける。
「ヒヤシンス、ラベンダー、ローズマリー……」
「あら、あなたお花に詳しいのね」
 上から声がして見上げると、老婦人がバルコニーから顔を出していた。春子さんだ。藍色のワンピースが似合う。6月の梅雨の晴れ間にのぞいた青空が眩しい。アイは手をかざして答える。
「はい、母が花好きでしたから」
「そう」
 アイが母のことを過去形で話したのが気になったが、春子さんの返事は素っ気なかった。アイが胸の名札を空に掲げて自己紹介するが、「挨拶はいいから、早く2階へ上がって」と、春子さんはせわしなく両方の手で手招きする。僕は三津田さんと目を合わせて、懐かしんだ。

 数カ月ぶりの独特の手招き。たぶん、2階のバルコニーのテーブルには、紅茶とカステラが用意されているだろう。茶碗は有田焼で、カステラはこの街の一流菓子屋の五三焼き。いつも本題に入る前に、春子さんの有田焼をめぐるエピソードか、カステラをめぐるエピソードを聞かなければならない。
 有田焼のエピソードは、有田焼を通してご主人と巡り合ったという恋バナ。カステラのエピソードは、そのご主人が商才のないグウタラな浮気者で、何かと問題を起こしては尻ぬぐいにカステラを持ってお詫びに回る日々だったが、結果的に自分の頑張りで商売が成功したという細腕繁盛記。
 今日は、どちらの話が来るだろうかと考えながら2階への階段を昇っていると、三津田さんがこっそりと耳打ちする。
「春子さんが東京の息子さんのところに行ったのは、年明けでしたから……」
「やっぱり半年も持たなかったなあ」
「まあ、あの気性ですからね〜」

 春子さんが東京に住む息子さん家族を頼ったのは、病気がきっかけだった。
高血圧に高脂血症、さらに心臓弁膜症で在宅医療を受けていたが、心不全を繰り返したので、弁置換術の適応だろうということで僕は大学へ紹介し、手術予定となった。しかし、一人暮らしなので術後が心配。東京で手術を受けてその後に息子さん夫婦と同居がベストという結論に至り、数カ月前に上京して手術となった。
 オペは無事成功したが、どうやらというか案の定というか、息子夫婦と大喧嘩したようだ。まあ、上京前にこの家を処分しなかったということは、最初から戻って来る腹積もりだったかもしれない。何せ計算高い商人だ。
 戻ってすぐ、三津田さんに在宅医療を再開する旨の電話が入ったそうだ。
「明後日来て下さる。あのポッチャリ先生と一緒に。紅茶入れておきますから」

 お約束どおりに僕らはバルコニーに座り、ホームヘルパーさんが注いでくれる香りの良い紅茶を口にする。今日の話は細腕繁盛記のようだ。
 春子さんの御主人は、大きな造船所の職工だったが、戦後の神武景気(1955年頃)に若くして独立して小さな鉄工所を作った。春子さんは商才があったようで、造船所が必要とする様々な部品を作らせて、鉄工所を大きくした。しかし、自社の鉄工所で作る製品には限界があり、最終的には鉄工所をたたみ、造船所関連の様々な物品の調達を専門とする問屋を立ち上げ、後に商社に成長させて大成功を収める。
「造船所のおかげで家族や社員を食べさせてもらい、この家まで買えたのよ」
 商工会議所のナンバー2まで登りつめ、恰幅の良かった彼女は「女奉行」と呼ばれた時期もあったようだ。だが、今はその面影はなく、数カ月前と比べても痩せていた。術後のせいだろうか。自分の分のカステラには、手をつけず、遠くを見ながら話を続ける。ここからは、造船所の巨大クレーンが何本も立っているのが見える。