教会の下に車を停め、長い坂を登っていく。
 僕の目の前でスニーカーが跳ね、白衣が弾んでいる。アイロンの効いた真新しい白が眩しく映る。道端には、紫の小さなスミレや黄色のタンポポが揺らいでいる。元気よく歩く若い彼女を微笑ましく見つめているようだ。
「そこを、右」
「はい!右ですね」
 往診バックを担いだ新米先生の声は坂の街にこだまし、心地よい響きを残してくれる。今年も新しい季節がやってきた。斜面に立つ家々の軒先の洗濯物や布団が、春の陽を浴びながら「遠いところから、よう来てくれました」と、彼女を歓迎するかのごとく風にはためく。

(イラスト:タテノカズヒロ)

 鈴木アイ。
 この春、関東の医科大学を卒業し、西海医科大学病院に研修医として就職した。
 ニューバランスのスニーカーを履き、スクラブの上にロングコートの白衣を重ねている彼女は、さっぱりとした気性のようだ。
「在宅医療の研修があるんですね。私、やりたいです!」
 オリエンテーションの時に真っ先に手を挙げて志願してくれた。まっすぐに伸びた腕と透き通った手のひらから育ちの良いお嬢さんだろうと思ったが、案外苦労人で、学生時代は生活費を稼ぐためにいろんなバイトをしたそうだ。
「へ〜、キャバクラとか」
「ハハハ、まさか。居酒屋どまりですよ。ハ〜ックション」
 鼻をすすりながら、
「先生、キャバクラ好きなんでしょ。噂になってますよ、グスッ」。
「それは大間違い。30にしてキャバクラ卒業、40にして惑わずスナック…だよ」
「へ〜、スナックって行ったことない。今度連れてってくださいよ」
「いいよ、お前の初月給がでたら。ブラン、ルリアン、ほのか、シャルメ、道、サイレンス、ソルボンヌ、ベラージュ……。どの店がいい? 友達割でキープ半額!」
「ハハッ、ハックショ〜ン。先生、気楽でいいですね」

 バカ話をしながら坂を登る僕は、西海医科大学附属病院の教育センターに所属する医師。火曜日と金曜日の午後、希望する初期研修医を連れて患者さんの家を回り、在宅医療の現場で教えている。もうそろそろ不惑の四十なのだが、身分は5年契約の講師で、今年が5年目……。今、ヒジョ〜〜に迷っている。
 なぜなら、センターでの僕の主な業務は、完全に雑用だからだ。全体の4割が研修医関連の雑務、つまり研修医のローテーション組みとか、当直表作りとか、症例レポート管理とか、勉強会の調整とか、爐覆鵑笋蕕んやら瓩任△襦
そして3割が研修医のリクルートで、いわゆるマッチング対策。懇親会とか飲み会とか宴会とかチョイ飲みとか、爐覆鵑笋蕕んやら瓩任△襦「勘弁してください!」と叫びたくなる雑用のオンパレード。
 残り2割が在宅医療をやりながらの研修医教育。唯一、臨床家らしいことをやっている。最後の1割は、隠れて映画のシナリオを書いている。一発当てたら、速攻で医者を辞めるつもりだ。まだ1作も書き上げたことはないが……。

「そもそも先生は何科ですか? どこの出身ですか?」
 坂を登りながら、研修医のアイが僕に聞いてくる。研修医は指導医の個人情報にものすごく興味を持つ。小学生が担任の先生の恋愛とか家族のことを知りたがるのと、多分同じだ。僕はいつものように答える。
「元々は関東のとある大学の外科に所属したが、思うところあって退局。大変だったけどね。そして、プライマリケア医を目指して市中病院で研修をやり直し、ファミリーメディスンを学びに海を渡った」
「それから?」
 まだ、聞くか?
「まあ、いろいろあって、縁あって、あの好々爺の教育センター長に……」
「へ〜、センター長は外科の教授ですよね。彼に引っ張られたんですか」
「いや、騙されたな。振り返ってみると」

「この街で君の好きなように、面白いように、思い切ってやってくれ」。センター長のこの殺し文句にやられた。
「確かに、好きなようにやらせてもらったが…、何のサポートもないじゃいか! 勘弁してよ〜っ」。5年目になって振り返ると、これが偽らざる感想である。
 それでも、この街に来た頃の僕は、「大学病院で、在宅医療の教育をするのは、面白いに違いない! 誰もやってないじゃないか!」と熱を帯びていた。この街で在宅医療に情熱を注ぐ若葉クリニックの谷河先生と出会って意気投合し、協力を取り付けることができた。
 それから週に2回、運転手(三津田さん)付きの軽自動車を借りて研修医と一緒に市内を回っている。もちろん、大学の許可を取って正規の研修と位置付けた。ガソリン代も大学が出してくれた。初期研修医は年に最低1回は在宅医療を経験することを義務ともした。彼らが現場の先頭に立つ10年先には、病床数が減って在宅医療がより重視されているであろう。さらに、在宅に興味がある研修医は月に1〜2回程度、通年を通して在宅医療を学べるシステムとした。

 そんなこんなで在宅医療の研修を始め、かれこれ5年目に突入する。
 その間、坂の街の家々で僕が遭遇した出来事は、それまで考えていた医学の枠組みには収まらないことばかりだった。困窮、孤独死、成年後見や遺産相続、空き家など新聞の社会面に載る問題のリアルな姿が、坂の上の患者さんたちだった。
「急性期の野戦病院の最前線で戦ってきた」
 そんな変なプライドを勝手に作り上げていた自分にとって、在宅医療は静かな衝撃だった。
 人には、家での生活がある。
 そんな当たり前の事実に愕然とした。野戦病院での急性期医療は、ある意味2時間ドラマ。分かりやすい「起承転結」があり、退院すれば「完」の文字がエンドロールの後に浮き出てくる。しかし、「完」の後には延々と続く日々の物語があるのだ。