【第5章までのあらすじ】日本の最西端・西果(さいか)市の西果中央病院で初期研修医の確保を命じられた内科医、矢倉健は西果中央病院の大PR作戦を展開する。その最中、病院を潰したい市長が仕掛けたシンポジウムでは民間移譲の論が優勢となったが、医療界の重鎮・近藤和仁の提言で、病床再編による生き残りへ舵が切られることとなった。生き残りには初期研修医の確保が必須。健の奮闘の結果がいよいよ出ようとしている。
※第6章第1話と第2話はバックナンバーからご覧ください。

 健はさらに横浜の街を走っていた。
 コンクリートの照り返しがきつく、汗がふきでる。横浜女子医大の松尾尚子とは、みなとみらいの大観覧車の前で待ち合わせた。今度は何とか時間に間に合った。肩で息をしながら、松尾に言った。
「ごめん、これに乗りたかったとさあ〜」
 松尾は目を伏せ、口元に引きつった笑みを浮かべた。ゴンドラの窓越しに横浜がゆっくりと見えてくる。
「問題は、やっぱし、彼のことね?」
 うなずく松尾に、健はそれ以上聞かず、お土産を広げた。棚田の爆弾おにぎりとすりみ揚げを見ると、なぜか、松尾は声を殺して泣きだした。震えている肩にそっと手を当て、ゴンドラが一番高くなったところで、健は優しく言った。
「いつでもよかとよ、帰るのは。西果は、逃げん。いつでもウェルカム」

 横浜から長崎へ。
 西海医大カヤック部の住田修平、坂井翼とは、「行こか戻ろか」の思案橋。派手に行ってしまった。
 餃子の「宝雲亭」で生ビールとともに6人前を軽く平らげ、フィリピンパブ「ワクワク」でカラオケ10曲ぶっ続けで歌った後、中華街の「江山楼」でちゃんぽん。まだまだ元気に思案橋へ戻り、Withビル最上階の「精霊」でニューハーフと踊る。健のワイシャツのボタンがちぎられ、住田はトイレに駆け込んだ。とりあえずゆっくり飲み直そうと、3階へ下りて「ブラン」の五島育ちのママの失恋話に涙し、メインストリートの小さなビルの4階「デメズダックスープ」ではマスターの生ギターで、クラプトンの「Change the World」を3回熱唱。昭和のにおいを残すハモニカ横丁の「ケバブ屋」で、デンマーク人とイギリス人と中国人に、住田と坂井がカヤックの漕ぎ方を教えた。さらに横丁を何軒かはしごした……と思う。
 夜が白みはじめたところで、「桃太郎」のぶたまんを10個買い、昔遊郭があった丸山公園へ向かい、坂本龍馬像の前で「日本の夜明けぜよ!」と3人で写メして食べた。

 始発の路面電車に倒れこむように乗って大学病院前で降り、千鳥足で山王神社の片足鳥居をくぐり、原子爆弾に負けず戦後を生き抜いた巨大なくすの木の前で、福山雅治の「クスノキ」を歌う。ボロボロの服と靴の3人は、鼻水を流して、号泣しながら歌っていた……。よく通報されなかったものだ。
 という記憶がかすかにあるのだが、これ以上は……思い出せない。思い出したくない。

 福岡の医大生、井手穂香とは、ヤフードームでその年の最終戦となるオリックス戦を観た。すりみ揚げと爆弾おにぎりは観戦のつまみに持って来いだった。7回表に1点を追加されてホークスの敗戦が濃厚となると、彼女はため息をついた。
「今年は、ダメですね」
 首位日ハムに6.5ゲーム差の3位。
「クライマックスに賭けるしかないね」
「そうですね」
「奇跡を信じて」
 前年日本一のチームに、その年、奇跡は起きなかった。
      
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 9月議会に市長が出そうとした西果中央病院の民間移譲案は、陽の目を見ることなく廃案となった。7.23シンポジウムでほとんどの市民が反対していたので、来年の市議会選を気にした与党が提出に難色を示したためだ。市医師会が動いたとも噂されている。
 その間、小佐々は精力的に動き、近藤と作り上げた病床削減と機能転換の病院改革案が9月議会で通った。それを受けて、病院の雰囲気は一変した。補正予算で改修工事も始まろうとしている。
「ざまあみろ、だよ。洋子ちゃんとあたしの病院が、潰れるわけがない」
 売店のスミちゃんの鼻息は荒いが、心配もあるようだ。
「さくらちゃん、売店をコンビニに変えるとか噂があるけど、本当? あたし、『お弁当、温めますか?』とか、言いきらん」
「大丈夫よ、スミちゃんは、永遠の看板娘だから」
 そう笑うさくらは、病床転換して新しくつくる老健施設の施設長に大抜擢された。グループホーム経営の手腕と、病棟主任の実績を買われた超異例の人事だが、小佐々が職員の意識改革を狙った策の一つでもあるだろう。
「シングルマザーが本気だしたら、まあ、こんなもんでしょう」
 若干天狗になっているさくらが、健にはうれしい。