30代半ば、長い髪を後ろで結んだスーツ姿の男は、凝ったスライドを映し出し、スティーブ・ジョブズ風の身振り手振りを交えながら、話を巧みに進めてゆく。
 医療ツーリズム構想。
 西果中央病院を民間に移譲し、癌などをみつけるPETや最新検査機器をそろえ、儲かる医療を展開する。神ノ島にホテルを建設し、空港から直通の高速船で患者を輸送し、日本全国にとどまらず、中国、韓国、台湾、シンガポール、マレーシアなどから金持ちを集める。ハウステンボスのカジノ構想と連携し、東アジアの平和の象徴となる医療観光国際特区を目指す。大輔が入手した話のとおりだ。市長と取り巻きの一団が激しく拍手をしたが、会場は冷めていた。

「この手の話は昔から何度もあって、全部失敗してるからねー」
 洋子は点滴が落ちるのを見ながら、ボソリと言った。 
 徐々に人は減り、衰退する一方の神ノ島。そして、西果。
 行政は起爆剤として、ダム建設、テーマパーク誘致、競艇場誘致、ジオパーク建設などを次から次に(正確には市長が変わるたびに)打ち上げるが、どれも実現したためしがない。ある意味、実現させないことで、許される程度の赤字財政を保ち、市としての形態を維持している。何かを実際に始めて破綻していった近隣の市町村と比べると西果はまだましな方だ。「何もしない」という選択を、この街の人は無意識にしてきたのかもしれない。
 
 司会の塚本は、健を含めた4人を壇上に上げてテーブルに座らせた。
「ここからは意見交換です。どなたか、ご意見はありませんか」
 フロアからいくつもの手が挙がった。
「谷口さんへ質問ですが、病院を民間に移譲した場合、買い手はあるのですか?」
「今、ある医療法人が興味を示しています」
「谷口さんへ質問ですが、特区実現の可能性はあるのですか?」
「すぐにはできません。しかし、まずは、実績をつくってゆかなければなりません。そのために、民間移譲は必要です」

西果中央病院の独立法人化は失敗した → 民間移譲するしかない → もうかる医療、人を呼べる医療への転換 → 西果の主要産業となる

 分かりやすい構図が、聴衆の頭の中で出来上がっていく。市長サイドの思惑通りに。
   
   ※   ※   ※

 シンポジウムからさかのぼること、2週前。
 釣りの後に大輔の仲介で乗り込んだレクサスで、後部座席の男は名刺を差し出した。
「架橋グループ副会長 富徳太郎」
 富徳は端的に語る。
「うちのグループが西果中央を買って、巨大な検診センターを創る。矢倉先生には、副センター長をやって頂きたい。西果の事情がわかり、使える医師は君しかいない。給与は今の2倍。西果を再生させる仕事だから、やりがいもある。街の人のためになる。私たちは検診のデータを使い、西海医大と提携して研究もしようと思う。その話は山口大輔君を通して教授にも伝えている。もちろん、巨額の寄付付きでだ」
 なるほど、流行りの産学協同プロジェクトか。大学も巻き込んでいるわけだ。センター長には、退官する教授でも持ってくるのだろう。
 大学ぐるみで西果を潰すのか? 大輔は俺に気遣ったのか? 売ったのか? 「小佐々を裏切れ」ということか? それとも小佐々の指示? 疑心暗鬼で頭の中が渦を巻く。
   
   ※   ※   ※

「他にご意見はありませんか?」
 フロアに向かって、塚本が2回くりかえした。
 意見はほぼ出尽くし、市長の思惑通りの展開になっているようだ。大勢は決まった。最後に健が意見を述べ、市長が挨拶する段取りになっている。市長の近くに座った富徳が、健に視線を送り、何度か瞬きをする。
 合図だ。
 健がマイクを握ったその時、塚本が会場へ視線を移した。
 点滴のついた手がゆっくりと上がっていた。司会の塚本は一瞬驚いた顔をしたが、マイクを渡すよう、スタッフに指示をした。
「どうぞ、お名前とご職業を」
 マイクを手渡された洋子はおじぎをして、両手でマイクを握り締めた。
「神ノ島出身で、長いこと東京に住んでおりました渡辺洋子です。職業は、大昔にこの病院で准看護婦をしておりました」
 会場が少しざわついた。「ああ、あの洋子ちゃんか」という声が聞こえる。
「上京してバーを開き、と言っても、半分食堂みたいなもんで」
「あのー、すみません。少し手短にお願いします」
「はい。今の職業は、病人です」
 会場から笑いが起こった。いつの間にか、和やかな雰囲気になってきている。
「私は、死ぬために西果に帰ってきたんです。帰る場所があって、私は幸せです。西果はそういう場所であっても、いいんじゃないですか。赤ちゃんもいれば、子どももいる。手術が必要な人もいれば、私のように死んでゆく人もいる。やれる範囲でやれることを提供するのが西果中央病院だと思います。民間に売るのもいいですが、そしたら、私のような病人を診てくれる病院はなくなります。検診して病気が見つかっても治療できないんですよ。そんな病院でいいんでしょうか?」
 同情もあったのだろうが、至るところから拍手が沸きあがった。

   ※   ※   ※

 夕暮れの神ノ島を周回するレクサスの中、威圧感のある富徳の声が健の腹に響いた。
「矢倉先生にはシンポジウムで、我々の側に立った発言をして欲しい」
 そう告げて、富徳はマル秘の印が押された資料を渡す。
「君を信用している」
 健は大輔に指示されたとおり、「はい」だけを曖昧に繰り返していた。

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