片山は財務室のソファーに座り、テーブルの脚を両手で必死に押さえていた。
「ヤグラシカー!」
 健は叫び、テーブルに手をかけている。その時、片山の声がよみがえる。
「テーブルをひっくり返して、有田焼もどきの割れやすい中国製湯飲みを割ると、器物破損で警察が来ますよ。財務部の手です」
『35歳医師、市役所の湯飲みを割って逮捕。薬物反応なし。痴情のもつれ?』
 地元新聞の三面記事が浮かぶ。さすがにそれは冗談にならないので、力をゆるめた。

 健が叫ぶまで、財務部の中道義男課長は市の財政について、のらりくらりと説明を続けていた。
「市の財政を、家計に例えると、年収が400万円ですが、支出が650万円。年収のうち、国からの借金が……」「国の政策として……、県の意向は……、ですから市としては……」
 医療の話をすると、健康福祉部の井原俊樹課長が煮えきらない回答を続けていた。結局のところ、医者(研修医)のリクルートに金は出せないというのが結論らしい。我慢に我慢を重ねて、1時間も聞いた末、健のヤグラシカーが爆発したのだ。
 しかし、健はすぐにトーンを下げた。
「ヤグラシカ〜、ですよね。そんな話をしても、お互い時間の無駄でしょう? 下っ端同士が喧嘩しても、発展性はないですよ。あなたたちも、西果中央病院がなくなったら困るでしょ?」
 両課長をうなずかせる。
「母がお世話になってます」
「実は、私も糖尿病でお世話になってて」
 役人の顔から街の人の顔になる両課長に、健はたたみかける。
「未来の話をしましょうよ! この街に若者が来る可能性のある未来の話を」

『田植えで西果にマッチ! 病院見学&採用試験』
 さっき作った企画書を、ここで取り出す。
 6月中旬に市が主催する『西果棚田祭り』に、病院の企画を入れてもらいたい。医学生を呼んで、研修医として定住させたい。旅費を出してもらいたい。そのためには、何でも協力する。中道と井原は初めて健と目を合わせた。口調も役人言葉から一変し、方言で話し始めた。
「先生(しぇんしぇい)の企画は、観光課とコラボしたがよかでしょう」
「定住なら移住促進係でもいけるばい。今年度、旅費の予算ば、付けたとよ」
「そうね。棚田祭りで、街コンやるって、少子化対策室が言いよったね。医学生さんば、街コン参加させれば、バス代と民泊無料よ」
「おう、その手もあった」
 さすがは課長。その気になると、次々に案を出してくる。田舎の自治体とはいえ、課長となれば、それなりの能力と地元愛を持っているようだ。彼らは、内線電話で指示を始める。
「上戸君、棚田祭りの件で、すぐ財務部まで来て。病院の先生ば手伝って」
「街コン係は……、内村君ね。すぐ来るように。病院の矢倉先生と話して」

   ※   ※   ※

 夕日を背に、健はママチャリをゆっくりとこいで、病院へ向かっていた。
『田植えで西果にマッチ! 病院見学&採用試験』は、市主催の『西果棚田祭り』とのコラボイベントになり、学生の旅費も予算に組み込まれた。
「転んでもタダでは起きませんね」と片山も感服していた。
 防波堤沿いに進むと、海風が気持ちいい。向こうから人が来る。
さくらと保育園帰りのサユリだ。
「買い物?」
「うん」
「自転車、ありがとう」
「うん」
「田植えの企画もうまくいったよ」
「うん」
「俺も買い物に付き合おうか?」
「いや、いい」
「そう」
「じゃあ」
 健が自転車を返すと、さくらはサユリを後ろに乗せた。
 飛行機の中で考えた言葉を放つタイミングを計る健。その顔を見て、サユリはニコリと笑い、手を振った。サドルにまたがったさくらは右足をペダルに乗せたとき、体を健に少し寄せた。
 思わず近づく健。
 言おう。
 しかし、先に口を開いたのは、さくらだった。
「あのね」。小さな声で、耳打ちした。
「あたし、山田君のこと、ちょっと気になってるの。男性として。もちろん、年下で学生だけど、ああ見えて、結構しっかりしてるのよ。なによりまじめだし、誠実で、この街のこと好きみたい。それに、サユリも、山田君が大好きみたいだし」
 サユリは、健の方を見てニコリとうなずいた。
「……」
「じゃあ、さよなら」
 潮の香りの中、さび付いたチェーンの音が不協和音のように響いていた。

※「フルマッチ」は毎週月曜に掲載します。

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