切迫早産の多恵は昼過ぎに陣痛が始まり、夕方、自衛隊の護衛艦「さくら」に乗せられて長崎港に到着。西海医大病院の産婦人科まで運ばれた。無事生まれた子どもは「さくら」と名付けられ、現在、西果中央病院で働いている。
 近藤は多恵を「さくら」に乗せた後、病院へ戻り、それから2日間、若い研修医2名や洋子らと共にほとんど眠ることなく働いた。後に西果町が編集した「神ノ島おおみず」という1982年の記録集に、近藤はこう書いている。

『私の医学生時代に、インターン闘争があった(1967年)。当時は、医学部を卒業するとインターンとして、無給で一年間働き、国家試験を受けなければならなかった。インターンの時代は、医療行為は行うが医者ではない。事故が起きた場合の責任の所在もあいまいだった。待遇改善や制度改革のために我々はインターン闘争を起こし、(中略)努力義務の研修制度を始めさせた。あれから15年が経ち、今の研修医は僕らの頃より恵まれていると思う。しかし、この災害で思ったことは、医者はどのような傷病にも初期対応できる能力を、研修医の時に身につけるべきということである。』

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 近藤はこの災害を経験し、自分たちの手でつくった「努力義務の研修制度」自体に問題があると痛感した。内科の研修医は内科だけ、外科の研修医は外科だけを診る能力しかない。しかし、いろいろな事態に幅広く対応できる医師になるための研修が必要であろう。
 自ら壊して創った研修制度を、再び壊さなければならない。そして、二十数年かけて白い巨塔の親玉として力をつけた後、様々な機関に働きかけ、その巨塔の解体に向けて動き出した。そのひとつが、2004年の新臨床研修制度とマッチングだった――。
 途中からは、遅れて「アンバー」に到着した小佐々が解説してくれた。洋子ママは小佐々にビールを注ぎ、健にお代わりを勧める。健は棚に並んだウイスキーボトルを眺めた。
「ちょっと贅沢に、『山崎25年』をロックでお願いします。それにしても、近藤先生はすごいですね」
 感心する健に、友恵が軽く返す。
「そうですね。凄い人だったんだ、お父さんって。ただのスケベジジイと思ってましたけど」
 モスコミュールの2杯目のグラスを傾ける友恵は、氷をカランと鳴らした。
「お父さん?」
 話の流れからすると、彼女がお父さんと呼ぶ人は……。
「えーっ。マジなの。ウソでしょ。あの近藤先生が」
「まあ、シークレットチャイルドとでも言うんですかねー」
 自嘲気味に笑う友恵に、どうリアクションすればいいのか。洋子ママは微笑みながら、小佐々にビールを注ぎ足している。近藤と洋子ママの間に子どもがいて、その子が研修医の友恵だと!
 知らなかった……のは、どうやら俺だけか。
「あー、やぐらしかー」
 健はオシボリで、思いっきりカウンターをたたいた。皆の笑い声が回る。一昨日に西果で開いた友恵と山田の送別会、東京でのリクルート面接、そして19歳の自分を知っている洋子ママとの再会、30年前の大雨の日、さくらの誕生、近藤と洋子ママの出会いから友恵……。すべてはつながっていた。いったい、この物語はどこへ進むんだ? 俺はどうなるんだ? 健は棚のウイスキーを次々と選び続け、カナディアンクラブのロックを飲み干したところで、カウンターに突っ伏して寝息をたて始めた。

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 翌日、健は羽田でひとり、飛行機を待っていた。実家に一晩泊まったが、相変わらず居場所はないので、早めに空港に着いてしまった。
 携帯のメールをチェックする。博多のアヤから3通。
件名「今度博多いつですか?待ってます」 削除。
件名「ダイエット方法教えてください」 削除。
件名「キープ祭り、50%OFF」 一応キープ。
 昨日面接した東京帝大の徳永は「一度見学したい」と早速送ってきた。「早めに来てほしい」と、丁寧に返信する。やはり、山田にも打っておこう。
「また、来いよ。旅費はなんとかするから」
 病院見学会に来てくれた西海医大の住田修平に連絡しておこう。
「カヤックの練習に来た時に、一緒に飲もう!」
 横浜女子医大の松尾尚子にも、
「帰省を兼ねて、夏にでも、また来てください」

 しつこいと、ウザがられる。短く、明るい文面にするように心がけた。途中、友恵から短いお礼メール、マッチング・ナビ社の林田課長からは長い御礼が届いた。しかし、待ち続けている肝心のメールの着信はない。
 荷物検査を済ませた健は、長崎行きの搭乗口へ向かう。一番端だからかなり遠く、二日酔いの足にはきつい。着信のバイブが震える。急いで取り出す。ため息が出た。
 女傑からだ。
「シニアゴルフ大会、優勝! 全国大会出場決定! 西果も日本一を目指せ!」
 はいはい。おめでとうございますと返信するが、「シニアって、何歳からですか?」とは書かないでおいた。搭乗開始のアナウンスが鳴った。
 昨日さくらに打ったメールの返信はない。西果に帰ったら、もう一度話そう。しっかりと。


【編集部より】
ご好評をいただいている「フルマッチ」ですが、編集作業の都合により、1カ月ほど休載いたします。連載再開は11月初旬を予定しておりますので、またご愛読いただければ幸いです。
(2015.12.11追記)
編集作業の遅滞によって「フルマッチ」の連載再開が延びており、申し訳ございません。再開は現在、2016年1月を予定しておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

【作者・崎長ライトより】
いつもご愛読ありがとうございます。心より感謝しております。自身初のオムニバス短編小説『小さな世界平和』(電子書籍、299円)が10月4日に発売されました。「フルマッチ」は少し休載しますが、こちらも楽しんでいただければ幸いです。