近藤はシャワーの途中で飛び出してきたのか、髪も体も濡れている。多恵の状況を洋子に聞き、洋子は准看護婦らしく答えることができた。多恵の出産予定を話し、バイタルサインを報告する。
「血圧120の72、脈拍110、体温37.6」
 近藤はスカートの中を照らす。
「破水はしてない。切迫か」
 多恵に声をかけた後、降りて来た看護主任の太田と2人の研修医に近藤は指示した。
「この人を産婦人科病棟へ上げて、1号でルートを取れ。今は安定しているが、産婦人科の医者を呼べ」
「はい」と返事をした研修医の声は上ずっていた。
「妊婦を診たことがあるか?」
 近藤が聞くと、研修医はひきつって首を横に振った。
「大丈夫」
 近藤が研修医を鼓舞するように言う。そして、耳元で小さく付け加えた。
「逃げるな」

 次に近藤は消防隊に、子どもたちをロビーに運ぶよう指示をだした。
「全部で何人だ」
「13名です」
消防隊が答えた。2台の救急車に乗せたらしい。東京の進学塾の生徒たちが神ノ島のホテルに宿泊していたそうだ。バブルの頃だから景気が良く、都会の大手学習塾の受験勉強合宿も盛んであった。
「食中毒か。食事の内容をあとで細かく聞いておけ」
 近藤はもうひとりの研修医に言って、小さい子どもから診察するように指示した。
「子どもを診たことがあるか」
「ありません」
「大丈夫。逃げるな」
 近藤は同じように囁いた。

 電気は復旧せず、数本の懐中電灯の光だけがロビーを走っていた。スミ子の母が売店の奥からトランジスタラジオを引っ張り出し、電池を入れ替えて長崎県民放送にダイヤルを合わせた。ボリュームを大きくして鳴らしてくれたが、雑音がひどい。
 ガー…集中豪雨が長崎を襲って…ガー…地区の河川の氾濫が…
 当時、消防隊は町立で運営され、消防・防災と救急医療の両方を担っていた。町役場から無線が入り、隊長らしい男の肩に掛けられた大きな無線機のスピーカーが響く。
「緊急連絡。緊急連絡。神ノ島で崖崩れ!周辺住民を、教会または病院へ避難誘導せよ!」
消防隊はサイレンを鳴らし、慌てて出て行った。
 出て行った消防隊はその夜、神ノ島から戻れなくなるのだが、この時は誰もそんなことを予想はできなかった。外線内線とも通話が不安定となり、洋子は近藤の伝令役となって、一晩中、走り回った。まずは、産婦人科病棟に走り多恵の容体の様子を見て来るように言われた。
 多恵は落ち着き、陣痛も収まっていた。研修医の方が顔面蒼白で、受話器を握っていた。
「ダメだ。つながらない。どっちもつかまらない」
 産婦人科医は一人が学会で昼に病院を出て、残りひとりが病院待機だったが、夕食で神ノ島の官舎に帰ったまま連絡が取れない。自宅への電話もポケットベルも反応がない。 
 このとき、既に病院は完全に孤立していた。
 長崎市へ向かう海沿いの国道は数カ所で土砂崩れが発生し、通行不能。山沿いの迂回路も同様に通行できなかった。西果半島と結ぶ一本橋が崩壊し、神ノ島も孤立していた。土砂崩れがひとつの集落を飲みこんでもいた。神ノ島の病院官舎にいた医師も看護師も病院に来ることはできなかった。もちろん、病院から出て行った消防隊も神ノ島で足止めをくらっていた。

 誰も経験したことのない状況の中、近藤の統率力は抜群だった。
 午後7時、全職員を2階の会議室に集める。医師は近藤と研修医2名。看護師は36名。日勤と準夜が重なる時間だったので、幸いにもこの数が病院に残っていた。薬剤師1名、放射線技師1名、作業療法士1名、給食係1名、守衛と設備も含めた事務職員は9名。そして、看護助手の渡辺洋子。
 ロウソクの不安げな灯りの中、近藤は力強く話す。
「家族や親戚のことが気になると思う。帰りたいだろう。しかし、この雨の中を帰宅するのは危険すぎる。最も大事なのは、皆さん自身の命だ。帰れる状況になったら交代で帰ろう。そして、皆さんはプロだ。我々のやるべきことは、ここにいる300人の患者さんの命を守ることだ。ベストを尽くそう。皆さんなら、必ずできる」
 この言葉が、病院をひとつにした。
 2階の医局を本部とし、情報は事務職員に集約させる。ラジオや防災無線で町役場と連絡を取り合い、逐一、6つの病棟へ伝達を送って、職員や患者を安心させた。食中毒の子どもたちは2階の会議室に集められ、研修医と看護師3名に対応させた。近藤は洋子と数名の看護師と共に、一晩中病棟を巡回し、患者を落ち着かせるとともに、重症患者に対応した。
 2階を本部にしたのは賢明な判断で、1階はその後、完全に水没。病院の裏の崖が崩れて土砂も入りこんだ。スミちゃんの売店の商品はその前に移されて、皆に配られた。近藤はその中からグンゼの白いシャツをもらい3日間着ていた。電話、電気、水道のライフラインが復旧することはなかったが、深夜には自家発電が動いて、医療機器はなんとか作動していた。最低限の明るさも保たれ、緊張感がすこし和らいだ。幸いにも、この夜は患者の急変はなく、多恵の容態も安定していた。

 この夜の出来事は後に、西果では「神ノ島のおおみず」、長崎では「長崎大水害」と呼ばれ、300名近くの尊い命が奪われた大災害となった。
 夜が明けた。「一生分握った」と語るほど、洋子とスミ子はひたすら米を炊き、おにぎりを握って、救援を待った。
 自衛隊の救援ヘリは病院周辺に着陸できる場所を見つけることができず、食糧は空から落とさざるを得なかった。海から救援ボートで医者と看護師がやってくるまで、まる1日かかった。