【第2章までのあらすじ】日本の最西端・西果(さいか)市の西果中央病院は医師不足で崩壊寸前。状況改善のために初期研修医の確保を命じられた内科医矢倉健(ヘタレ)は、美人で勝ち気な看護師・紺野さくら、地域研修で赴任した初期研修医・渡部友恵、オタク医学生・山田拓也のアシストを得て、西果中央病院の大PR作戦を始めることになる。
※第3章第6話まではバックナンバーからご覧ください。

 300万円をかけた東京でのマッチング面接は惨敗に終わった。
「来年は、必ず、うちで研修してくれ」
 面接終了後、小佐々と健は山田に熱く握手を求めた。山田は大きくうなづいて、東京の実家に帰って行った。小佐々はその後、メディカル・マッチング・ナビ社と今後の対策を協議。「後で合流するから」と言って、健と友恵を見送った。
 ふたりは友恵の母の店へ向かう。健は、友恵が売店のスミちゃん(友恵の母の同級生)に「母は東京で商売をしている」と言うのを聞いたことがあった。それが小さな喫茶店&バーだということは、今日はじめて知った。

 東京駅から中央線に乗って御茶ノ水で降り、ホームから階段を上って改札へ。健は友恵の後をついていくが、足は自然に動く。
 19歳の時以来か。懐かしい。予備校に通っていた時のように、改札を出て人通りの絶えない大通りを少し歩き、奥に入っていく。道は昔と変わらない。コンビニがあったかは忘れたが、楽器店と書店は以前と同じだ。途中で予備校の前を通り過ぎた。
「俺、昔、ここの予備校に通ってたんだよ」
「知ってますよ」
「話したっけ?」
「いえ、母から聞いたことあります」
「えっ、お母さんが? 何で俺のこと知っているわけ?」
 前を歩く友恵がふり返った。
「さあ。店のお客さんと思ってましたが、覚えはないですか? 病院のブログにも健ちゃん先生って、母が書き込みしてたでしょう」
 楽器店の2階への階段を上がる友恵についてゆくと、記憶が徐々によみがえってきた。
 「アンバー」という看板がかかるドアを開くと、鈴がカランと鳴った。
「コハク・カレー!」
 健は思わず声を上げて、カウンターの中に立つコック帽と白いコートの女性を見た。
「覚えとったね。健ちゃん先生」
「はい、洋子ママ」

(イラスト:北神 諒)

 15年前のことを、健はようやく思い出していた。
 予備校の前で昼休みにカレーを売る人がいた。発砲スチロールの容器に暖かいごはんとコハク色のチキンカレーを入れて売りに来ていた。調理師が着る白いコートに白い帽子をかぶった女性で、浪人生たちからは洋子ママと呼ばれていた。そのママが友恵の母、渡辺洋子だったとは!
 毎日12時ちょっとすぎにカレーの詰まった大きな段ボールを抱えてやって来ると、お腹をすかせニキビ顔の予備校生たちが並んで待っている。あっというまに『夕日色のコハクカレー』は完売していた。
「よく並んでました。時々、ここにも来てました」
 店では、安くてボリュームのあるサラダとコーヒーのついたカレーセットが定番。19歳の1月、センター試験後のある日も、健はこの店に来ていた。カレーセットを食べたあと、隅のテーブルにひとり、憂鬱な顔でうつむいていた。
「お兄さん、授業の始まるやろう。もう行かんば」
「今日は志望校調査の最終面接なんです」
 志望校調査書と大学の偏差値一覧が掲載された冊子を机の上に出したまま、動かない。これから第一志望から順番に書かないといけないが、決められない。健は泣きそうな顔をして、受験生の悩みを洋子にまくしたてるように話した。
 医学部に行きたい。医者になりたい。でも、センターの点数では、関東の医学部は無理。親は自分が医者になることを期待していないから、東京の工学部でいいじゃないかと言う。とにかく、2浪はできない。
「君は理科が得意だから、理科3科目の長崎の西海医科大学ならチャンスはあるかもしれない」
 予備校の進路担当にはこう言われたが、東京育ちの健にとって、長崎はあまりに知らない土地だ。
「洋子ママ、長崎出身ですよね。長崎はどういうところですか?」
「よかところさ。どがん人でも受け入れてくれる。大丈夫、頑張りなさい。逃げるな」