「お調子ものの、のぼせもん。また、やっちまったよ」
 さくらが耳元でささやく。
 健の頭はすぐに後悔に変わる。冷静に考えると、若造もただ職務に忠実な役人というだけだ。彼が何かを決めたわけではないし、悪いわけでもない。とりあえず詫びを入れようと中へ入ろうとしたが、白髪の副院長の緒方が前に立ち、首を横に振った。その時、叫びにも近い小佐々の声が中から聞こえてきた。
「何卒、ヨ・ロ・シ・ク、ご審査、願います」
 しばらくの静寂の後、ドアが開き、アタッシュケースを抱えた審査官たちが出てきた。若造はチラリと健を見たが、立ち止まることなく去って行った。ドアの中へ入ると、白衣姿の小佐々が床に正座していた。太田と遠山も入ってきて、手を叩いて小佐々をねぎらった。パチパチ。
「院長、よくやった」
「ありがとう」
 小佐々は、立ちあがって膝を払い、皆と握手をした。

「お役人は、甘い物はダメみたいね」
 審査官たちが帰った後、残ったシュークリームを頬張りながら、太田は話す。
「でも、矢倉先生があんなに怒るなんて、いくらシナリオとはいえ、出来すぎでしょう。院長」
「――」
 絶句する健。
「まあ、あそこまで、健先生が熱くなるとは思わなかったけどね」
 小佐々もシュークリームに手を出す。土下座もパフォーマンスだったのか。
「やぐらしかー! このおっちゃんたち」
 アハハハー。皆が『神シュー』を頬張りながら爆笑する。
 しょせん、俺はお調子者のノボセモン。そして、それを利用する西果のやつらはしたたかすぎる。海のそばでしたたかに生きてきて、これからも生きてゆく。それが西果の人たちなんだろう。そう思いながら、健も神シューを頬張る。甘い柔らかなクリームが広がってゆく。
   
  ※  ※  ※

 5月の終わりは診療も暇だった。
「この時期は田植えの準備が始まって6月まで忙しいから、誰も病院には行かないんだよ」
 おかみさんが並べるハモの湯引き、きびなごの刺身、カツオのたたき。大きなビデオカメラを回すクルーが刺身にズームインする。
 マッチング・ナビ社が手配した撮影チームだ。ここ数日、健と友恵と山田に密着している。
「友恵ちゃんと山田君はいつ帰るとね? 寂しかね」
 厨房から大将が聞いてきた。居酒屋「山」での健と山田と友恵の合宿生活もそろそろ終わる。
 1カ月間ほぼ毎日、朝昼晩の食事を共にした。最初の頃は、お互いに気をつかっていた感じもあったが、それぞれのペースで気兼ねなく生活できるようになった。PRビデオは、そんな和気あいあいとした雰囲気と、緊張感あふれる仕事の場面を捉えていた。外来、病棟、エコー室での研修、スタッフとの笑顔、カヤック、釣り、宴会。夕日に向ってダッシュはさすがに勘弁してもらったが、いい思い出になった。
 友恵と山田の送別会も、もちろん「山」。入りきれないほどの人が集まった。
「いい研修ができました。必ず戻って来ます」
 最後に健から花束を渡された友恵は泣きながら健に抱きつき、歓声となった。
 さくらから花束を渡された山田は、マッシュルーム頭を何度もかき上げたが言葉にならず、ただただ泣き続ける。最後にさくらがやさしくハグしてやると、再び歓声が沸く。そんな光景に、健も何かしら熱いものが込み上げてきて、ラグビーボールで顔を隠す。その姿をビデオカメラは上手に捉えていた。

  ※  ※  ※

 一行は次の日、そのPRビデオを東京駅近くのホテルの一室で見ていた。
 5月の最後の日は土曜日で、小佐々と健、友恵と山田は、メディカル・マッチング・ナビ(MMN)社による西果中央病院マッチング特別面談会(いわゆる採用試験)の東京会場にいた。
 急ピッチで仕上げた割には、ビデオの出来は素晴らしかった。この日来場する学生に見せる作戦である。
 全国の医学部6年生の半数に当たる4000人に西果中央病院の情報をメールで流し、興味を持った4人が今日ここにやってくる。その4人とそれぞれ30分づつ個別面談をする。形式上は西果中央病院の採用試験となっているが、来てくれるようにお願いする意味合いのほうが強い。超売り手市場のマッチング業界で、面接されているのは病院側なのだ。
「たった4人?」
 この日の面接の人数を聞き、小佐々と健の肩がガクンと落ちる。